2008年 02月 11日
いくつかの補足(「護良親王」「新田義貞」など)
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いくつか、本編レジュメの補足をここでしておこうかと思います。
まずは、
ただ、尊氏との戦いでどれほどこれが有効だったかは難しいところです。後醍醐の政策は急進的で、新興豪族からはある程度支持を得たようですが全国的に旧来の豪族を中心に強い反発を受けていました。不平分子の矛先が向けられる立場にあったわけで、また新興豪族のみで不平分子を圧倒できるだけの力はまだありませんでした。ですから、仮に畿内の優位を確立する事は出来たとしても足利氏の拠点である関東に打撃を与える事は難しかったでしょう。まあ、取りうる選択肢としては畿内を押さえるとともに奥州の北畠顕家と緊密に連絡を取り彼等に関東を牽制させ、その間に水軍を中心に西国を固めるというものでしょう。これなら後醍醐方有利の情勢を作り出すことは出来たかもしれません。
しかし実際には紀伊でも北条氏残党が蜂起し平定に苦心している有様でしたから前提となる畿内平定もできたか疑問ですし、本文で述べたように倒幕戦で最高指揮官であった護良と後醍醐とは権威が衝突しあう関係にありました。護良が戦力を持ち信望を持つほど、後醍醐にとっては脅威でもあったわけです。史実において後醍醐から護良が権限を奪われ十分な支援が受けられなかったのはそうした理由があります。そう考えると、このif自体に余り意味がなかったのかもしれませんな。護良は南朝方指導者で数少ない、現実的戦略能力と影響力を兼ね備えた人材なので興をそそられる話題ではありますが。
次に、
国学者平田篤胤は、著作「玉だすき」においてこのような話を載せています。何でも、白昼に土蔵の何もない白壁に向かって二匹の犬が吠え掛かっている。犬はそこに向かって行ったかと思えば尻尾を巻いて退散する事を繰り返していたそうです。これについて、篤胤はおそらく目に見えない何者かがそこにおり、それが顕界と幽冥界の境であったのではないかと考察しています。以前の記事でも軽く触れ、その時はネタとして扱ったこの話題ですが、今回は少し真面目に見てみましょう。篤胤は、生者の世界である現世(「顕界」)と死者の魂が住む世界(「幽冥界」)は背中合わせに存在する表裏一体の関係であると考えました。幽冥界と顕界は似たような世界であり、幽冥界から顕界は良く見えるが顕界から幽冥界はみえないのだそうで。そして、この幽冥界と顕界の境目は到る所に存在するとか。こうした観点は、単に篤胤の妄想による産物ではなく民間の伝承を反映したものなんだそうです。
また、これも少し前の記事で述べた内容ですが、道祖神は三叉路・村境など境界部に安置され災厄を防ぐとされています。日本神話によれば、イザナギが根の国(来世)から逃れた際に現世との境界を塞ぐためにおいた石と杖が起源だとか。こうしたことからも考えると、三叉路・村境なんかも現世と来世との境界になりうるのかもしれません。
以上の事を考慮に入れると、「この世」と「あの世」の境界はどこにでもあると考えられていて、その中で特に顕著で目立つものが宗教的聖地になった、と信じられていたともいえそうです。してみると、高層ビルや駅のホームのような最近出来た自殺の名所なんかにも、現世と来世の境目を見ている人はいるのかもしれません。
ちょっと湿っぽい話になったので、もう一つ、
問題の逸話は「熊野権現」の巻末尾近くで述べられているのですが、直前が垂仁天皇の時代に疫病に対し多くの社を祀って対処した話を掲載し「世に三千七百余社の日本の鎮守」と呼ばれた事についての話。そしてその後に「これはどの帝の時であったろうか。」の一文が続き、その後で綏靖天皇の人食い話が始まるのです。で、それが終わった後にまた「さて、三千七百余社の鎮守のうち、熊野嶽を取り上げて」(「神道集」東洋文庫P17)と元の話題に戻っています。例の話は何の脈絡もなく「三千七百余社」の話の中に挿入されており、しかも「どの帝の時」という文にも対応していない。おそらくは、別の話が語られるはずだったのが誤って入り込んだのではないか、という印象を与えるのです。
とはいえ、人食い話の中では祖父・鵜茅葺不合命や父・神武天皇の長寿が引き合いに出され臣下たちの恐怖を煽り立てていますから綏靖天皇にそうした伝説があった事自体は事実なんでしょうかね。
古来より、洋の東西を問わず神に生贄を捧げる風習があった可能性については指摘されていますし、比較的近い時代までやはり洋の東西問わず橋や城などを新築する際に人柱を立てて神の保護を得る風習があった事については南方熊楠などが指摘しています。してみると、太古においては神が人を食らうまたは捧げもの(聖婚という形を取る事もあるました)として求めると信じられていたと見る事もできそうです。この文脈から考えると、神話的存在である初期の祭祀王が神と同一視された結果としてこのような奇怪な伝承が生まれたと見るべきなのかもしれませんね。
それにしても、十四世紀という時代には神仏に関する妙な逸話が数多く生まれたものです。民間でひっそりと語られていた話が、商業発達に伴う民衆の社会的実力上昇によって表に表れてきた、また民族意識の萌芽や時代への不安感からも新たな妙な話が生み出されてきたという事なのかもしれません。
【参考文献】
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄著 中公新書
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一著 中公文庫
新編日本合戦全集2鎌倉南北朝編 桑田忠親 秋田書店
足利尊氏 高柳光寿著 春秋社
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
神道の逆襲 菅野覚明 講談社現代新書
呪術・占いのすべて 瓜生中・渋谷申博 日本文芸社
道祖神信仰史研究 石田哲弥編 名著出版
東洋文庫94神道集 貴志正造訳 平凡社
歴史民俗学資料叢書2 人喰いの民俗学 礫川全次編著 批評社
南方熊楠コレクションⅡ南方民俗学 河出文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
「南朝五忠臣」
<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち
日本の人肉食について例示する
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
今回補足したのは、
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
「自殺と往生」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)
「人を食った話」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html)
の四つです。
関係する話題として、
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「引きこもりニート列伝その32 平田篤胤」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet32.html)
「本居宣長」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529117/)
リンクを変更(2010年12月8日)
まずは、
「新田義貞」から。「護良親王」末尾で、護良が健在で尊氏と対抗していたらどうなっていたか考察しています。それについてもう少し詳しく考えてみます。義貞が一族を中心戦力とし天皇の権威を利用して有力豪族を率いて正面から軍事的に対抗する道をとったのに対し、護良は正面対決を避けて新興豪族を組織化しゲリラ戦などで揺さぶりをかける方法を倒幕戦で取っていました。寺社・修験道と深いコネがありましたから、これを利用して畿内を中心に蜂起させ全国の不平分子に呼応させるものでした。
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
ただ、尊氏との戦いでどれほどこれが有効だったかは難しいところです。後醍醐の政策は急進的で、新興豪族からはある程度支持を得たようですが全国的に旧来の豪族を中心に強い反発を受けていました。不平分子の矛先が向けられる立場にあったわけで、また新興豪族のみで不平分子を圧倒できるだけの力はまだありませんでした。ですから、仮に畿内の優位を確立する事は出来たとしても足利氏の拠点である関東に打撃を与える事は難しかったでしょう。まあ、取りうる選択肢としては畿内を押さえるとともに奥州の北畠顕家と緊密に連絡を取り彼等に関東を牽制させ、その間に水軍を中心に西国を固めるというものでしょう。これなら後醍醐方有利の情勢を作り出すことは出来たかもしれません。
しかし実際には紀伊でも北条氏残党が蜂起し平定に苦心している有様でしたから前提となる畿内平定もできたか疑問ですし、本文で述べたように倒幕戦で最高指揮官であった護良と後醍醐とは権威が衝突しあう関係にありました。護良が戦力を持ち信望を持つほど、後醍醐にとっては脅威でもあったわけです。史実において後醍醐から護良が権限を奪われ十分な支援が受けられなかったのはそうした理由があります。そう考えると、このif自体に余り意味がなかったのかもしれませんな。護良は南朝方指導者で数少ない、現実的戦略能力と影響力を兼ね備えた人材なので興をそそられる話題ではありますが。
次に、
「自殺と往生」から。自殺の名所と宗教的聖地とが重なり合っている事が多く、これらは古来より「この世」と「あの世」の境目と見られていた、という話なわけですが、注でも記したように高いビルや駅のホームのようにこれに当てはまらない例も存在はします。それについてもちょっと考えてみようかと。
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)
国学者平田篤胤は、著作「玉だすき」においてこのような話を載せています。何でも、白昼に土蔵の何もない白壁に向かって二匹の犬が吠え掛かっている。犬はそこに向かって行ったかと思えば尻尾を巻いて退散する事を繰り返していたそうです。これについて、篤胤はおそらく目に見えない何者かがそこにおり、それが顕界と幽冥界の境であったのではないかと考察しています。以前の記事でも軽く触れ、その時はネタとして扱ったこの話題ですが、今回は少し真面目に見てみましょう。篤胤は、生者の世界である現世(「顕界」)と死者の魂が住む世界(「幽冥界」)は背中合わせに存在する表裏一体の関係であると考えました。幽冥界と顕界は似たような世界であり、幽冥界から顕界は良く見えるが顕界から幽冥界はみえないのだそうで。そして、この幽冥界と顕界の境目は到る所に存在するとか。こうした観点は、単に篤胤の妄想による産物ではなく民間の伝承を反映したものなんだそうです。
また、これも少し前の記事で述べた内容ですが、道祖神は三叉路・村境など境界部に安置され災厄を防ぐとされています。日本神話によれば、イザナギが根の国(来世)から逃れた際に現世との境界を塞ぐためにおいた石と杖が起源だとか。こうしたことからも考えると、三叉路・村境なんかも現世と来世との境界になりうるのかもしれません。
以上の事を考慮に入れると、「この世」と「あの世」の境界はどこにでもあると考えられていて、その中で特に顕著で目立つものが宗教的聖地になった、と信じられていたともいえそうです。してみると、高層ビルや駅のホームのような最近出来た自殺の名所なんかにも、現世と来世の境目を見ている人はいるのかもしれません。
ちょっと湿っぽい話になったので、もう一つ、
「人を食った話」についても。第二代・綏靖天皇が朝晩に七人ずつ人を食したという話が「何かの間違いで紛れ込んだ可能性」と書いたのにはそれなりの根拠があります。原典である「神道集」における該当箇所の前後を見てみましょう。
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html)
問題の逸話は「熊野権現」の巻末尾近くで述べられているのですが、直前が垂仁天皇の時代に疫病に対し多くの社を祀って対処した話を掲載し「世に三千七百余社の日本の鎮守」と呼ばれた事についての話。そしてその後に「これはどの帝の時であったろうか。」の一文が続き、その後で綏靖天皇の人食い話が始まるのです。で、それが終わった後にまた「さて、三千七百余社の鎮守のうち、熊野嶽を取り上げて」(「神道集」東洋文庫P17)と元の話題に戻っています。例の話は何の脈絡もなく「三千七百余社」の話の中に挿入されており、しかも「どの帝の時」という文にも対応していない。おそらくは、別の話が語られるはずだったのが誤って入り込んだのではないか、という印象を与えるのです。
とはいえ、人食い話の中では祖父・鵜茅葺不合命や父・神武天皇の長寿が引き合いに出され臣下たちの恐怖を煽り立てていますから綏靖天皇にそうした伝説があった事自体は事実なんでしょうかね。
古来より、洋の東西を問わず神に生贄を捧げる風習があった可能性については指摘されていますし、比較的近い時代までやはり洋の東西問わず橋や城などを新築する際に人柱を立てて神の保護を得る風習があった事については南方熊楠などが指摘しています。してみると、太古においては神が人を食らうまたは捧げもの(聖婚という形を取る事もあるました)として求めると信じられていたと見る事もできそうです。この文脈から考えると、神話的存在である初期の祭祀王が神と同一視された結果としてこのような奇怪な伝承が生まれたと見るべきなのかもしれませんね。
それにしても、十四世紀という時代には神仏に関する妙な逸話が数多く生まれたものです。民間でひっそりと語られていた話が、商業発達に伴う民衆の社会的実力上昇によって表に表れてきた、また民族意識の萌芽や時代への不安感からも新たな妙な話が生み出されてきたという事なのかもしれません。
【参考文献】
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄著 中公新書
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一著 中公文庫
新編日本合戦全集2鎌倉南北朝編 桑田忠親 秋田書店
足利尊氏 高柳光寿著 春秋社
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
神道の逆襲 菅野覚明 講談社現代新書
呪術・占いのすべて 瓜生中・渋谷申博 日本文芸社
道祖神信仰史研究 石田哲弥編 名著出版
東洋文庫94神道集 貴志正造訳 平凡社
歴史民俗学資料叢書2 人喰いの民俗学 礫川全次編著 批評社
南方熊楠コレクションⅡ南方民俗学 河出文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
「南朝五忠臣」
<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち
日本の人肉食について例示する
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
今回補足したのは、
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
「自殺と往生」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)
「人を食った話」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html)
の四つです。
関係する話題として、
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「引きこもりニート列伝その32 平田篤胤」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet32.html)
「本居宣長」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529117/)
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-02-11 20:59
| NF








