2008年 03月 12日
天国・極楽のイメージ ~どんな餌で世界の信者たちは釣られたか~
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世界にはいろんな宗教がありますが、多くの宗教は天国とか極楽とか言って、来世での幸福を約束して信者を集めたり信者を善導したりしようとしています。
今回はその幸福な来世がどんなものなのか、幾つかの宗教について、具体的内容を軽く調べてみることにしました。
では西の方から順番に。
キリスト教
最後の審判を受けて、キリスト教徒の善人には「新しい天と新しい地」が与えられ、彼等は「神のもと」から下って来た「聖なる都、新しいエルサレム」の門に迎え入れられる。
都は「高い大きな城壁」で囲まれ、「碧玉」「サファイア」「めのう」「エメラルド」「赤縞めのう」「かんらん石」「緑柱石」「黄玉」「ひすい」「青玉」「紫水晶」「真珠」「純金」で飾られており、「最高の宝石」のように神の栄光に輝く。
「水晶のように輝く命の水の川」が「都の大通りの中央を流れ」てその水をただで飲むことができ、「その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。」
「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。」
「神が世々限りなく統治」するが、神が統治者として玉座に君臨する以上、それ以外に神殿などという余計なものは存在しない。
都に迎え入れられた者たちは、「神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る」ことができる。「彼らの額には、神の名が記されている。」
(「」内は『聖書 新共同訳』「ヨハネの黙示録」より。)
イスラム教
最後の審判を受けて、信徒の善人は「休らぎと、美き薫りと、至福の楽園」に入ることができ、「見はるかす緑の園」の「緑したたる」中、「絶対に腐ることのない水をたたえた川」「いつまでたっても味の変わらぬ乳の河」「飲めばえも言われぬ美酒の河」「澄みきった蜜の河」の流れる「絶対安全な場所」で、「涼しい木蔭」にあって、「そこではもう灼けつく太陽にも、氷る寒気にも襲われずにすむ。」「住居は立派なもの」だし「欲しいものはなんでもある」。
一同は「胸の中にある怨みつらみは全部あらかじめ取り除いて」おかれるので「お互いに兄弟のようになって」宴席に連なるが、そこでは「緑の紗綾」「金襴の衣」を身にまとった「絹ずくめ」の装いで、「黄金の腕環」「白銀の腕環」「大粒の真珠」で美しく身を飾り、「ふんわりと褥ととのい」「絢爛と敷物うち敷いて」「錦張りつめた」「金糸まばゆい」「豪華な臥牀」の上に「ゆったり身をのばす」ことができる。「例のおいしい食物」「すなわち、くさぐさの果物」ならば「欲しいものがなんでもある」し、「肉は出す」「欲しいものはなんでも授ける」で、「飲めばえも言えぬ心持よさ」の「いくら飲んでも頭がいたんだり、酔って性根を失くしたりせぬ」「薄荷」「生薑」を「ほどよく混ぜた」酒も、「こんこんと湧き出る泉から汲みたて」の状態で「銀玻璃の盃」で飲むことができる。食べるも飲むも「思いのままに」「心ゆくまで」することができ、「楽しみごとに忙がしい」。しかもこの宴会では「馬鹿話」も「嘘いつわり」も「乱暴狼藉」も出てこない。
「あたり一面まき散らした真珠かとまごうばかり」の美しい「永遠の若人」が「専属のお小姓」として「お酌してまわる」ほか、神が「お手ずから」飲み物を注いでくださる。「側に侍るは目差しもしとやかな」「眼ぱっちりした美人ぞろい」の「目もとすずしい」「乙女ら」で、「胸のふくれた」「体は砂に隠れた卵さながら」に純白にうっすら黄色を帯びた極上の色つや、「愛情こまやか」にして「年齢ごろも丁度似合い」。その上、神が「新しく」「特に作った処女ばかり」。この「人間にも妖霊にも体を触れられたことのない」「つぶら瞳の美女たちを妻として与え」られる。
(「」内の語句は井筒俊彦『コーラン』の訳書と称する日本語による解説文書 岩波文庫より。15、16、 35~37、44、47、52、55、56、69、74、76~78、88章)
ゾロアスター教
死後、善人の魂はこの上なく美しく芳香に満ちた天国に入り、甘露を供されて不死性を獲得し天国の住人となる。天国の住人は光り輝く美しい体を持ち、黄金の座を与えられ、金銀宝石で装飾された衣服で着飾っている。天国には良いものは全て備わっており、欠乏や苦痛、老いは存在しない。なおゾロアスター教の儀礼や慣習を実行しない者でも、善人であれば天国の下層に住むことが許される。
世界の終末が訪れると善悪全ての人が生前同様の肉体を持って復活し最後の審判を受ける。審判の後の三日間、人は、霊魂だけで過ごしたそれまでと異なり、肉体を持って生前の善悪の報いを受け、善人は肉体を持って天国で過ごすことになる。
そして肉体への報いの三日間の後、地球を包む大火によって地下の全ての鉱石が熔鉱となって流出し、熔鉱によるこの世の全ての汚れの浄化が行われる。熔鉱は、悪人にとっては恐ろしいが、善人にとっては温暖な牛乳に浸るような快さである。
熔鉱による清めのあと、最高神アフラ・マズダーの理想を実現した新しい完璧な世界が誕生するが、そこでは山や谷のない平坦な大地の上に美しく香りが良く枯れることのない植物が生え、飢えや渇き、戦争、病気は存在しない。人は、犠牲の聖牛ハダーヨーシュから得た脂肪と世界再建のための霊的植物の白ハオマを混ぜた甘露を飲まされることで永遠不壊の命を得て、同一の言語を使って神々を讃えながら、何の心配もなく生活する。熟年に達して死んだ人は四十歳、若くして死んだ人は十五歳の姿に作り変えられる。生前同様に妻子が与えられ、性の営み・快楽も存在するが、新たに子供が生まれることはない。
仏教
生きとし生けるものは阿弥陀仏を信じれば全て救済を受け、死後、仏の国土たる極楽に生まれることが可能である。
「淸淨安穩微妙快楽」な仏の「國土」では「自然」に「一切」の宝が「合成」し、「金」「銀」「瑠璃」「玻璃」「珊瑚」「碼碯」「硨磲」の七宝でできた「樹」が満ちあふれている。見つめられぬほど「榮色光耀」たる輝きを放っていて、「百千萬色」に変幻して、「無量光」が「一切」の「莊嚴」を見事に現出している。
「不暑不寒」の「涼」しく「柔」らかな「淸風」は、自ずと調和して、「寶樹」の「枝葉」を吹き鳴らす「妙法」の音楽となって「法音」を奏で、「萬種」の「温雅」な「徳香」を「流布」するとともに、「仏土」中に「華」を「散」り広げている。その「一々」の「華」の「中」からは無数の「光」が出て、「一々」の「光」の「中」から無数の仏が現れ、「各々」「光明」を「放」ち「法」を「説」いて、「衆生」を「仏」の「正道」に「安立」させてくれる。
多くの「浴地」や「池」があって、「寶」の「沙」の上に「八功徳」を備えた「水」が「滿」ちているが、その水は「淸淨」で「香」は「潔」く、「味」は「甘露」のようである。浴せば精「神」は「開」かれ「躰」は「悦」び「心垢」は除かれるが、「足」「膝」「腰」「頸」までといった水位あるいは「冷暖」は「隨意」である。「波音」は「快楽」の「音」であり、岸には「栴檀」の「香気」が満ち、「水上」には「優鉢羅華」「鉢曇摩華」「拘物頭華」「分陀利華」といった蓮の花が「色」とりどりに「覆」い「光」っている。
「宮殿」「飲食」「衣服」や「莊嚴之具」などは、享楽を事とする世界である「第六天」の「自然之物」のように素晴らしい。
七宝が「自然」と「講堂精舎宮殿樓観」といった建築物となり、その上から「眞珠」「明月」「摩尼」といった宝玉が覆いとなってかぶさっている。
「食」を「欲」すれば「自然」と「七寶」の「鉢器」が現れて「百味」の「飲食」で「満」たされる。
「地」には宝でできた「妙衣」が敷いてあり、「四面」には、上空を「覆」う「金鏤眞珠」等で「飾」られた「寶網」が、「寶鈴」を付けて「垂」れ下がってる。
ここでは人は「皆」、「自然」と「智慧高明」「顔貌端正」「容色微妙」な「天人」としての「身」「躰」を得る。
(「」内の語句は『無量寿経』より。)
以上、いくつかの宗教の天国・極楽の有様を見てきたわけですが、処女とかお小姓とか酒に食事に金銀財宝でピッカピカとか、どれもこれも凡俗にもわかりやすい極めて具体的物質的な幸福ぶり、言うなれば素敵な俗物っぷりで、大変結構なことだと思います。皮肉じゃなしに。
天国・極楽が清浄なだけのつまらない世界では、むしろ地獄行きを望む人間が溢れそうですから、天国・極楽たるもの俗的欲望の方面にもきちんと対処してくれねば困るというものです。こうあってこそ所詮多くが凡人に過ぎない信者たちの心を鼓舞できるというものです。
というわけでこれらの素敵俗物ランドには個人的には大満足なわけですが、どうしてもひとつだけツッコミたいところがあります。
それはゾロアスター教の審判後の神の国なんですけど、肉体を盛期を過ぎた40歳で固定するのはちょっと酷いと思います。どうせなら、もっと元気な年頃にしてあげましょうよ。
ちなみにゾロアスター教では、死者の霊界への旅路をその者の良心であるダエーナーが女の姿で現れ導いてくれるということになっているのですが、その際善人のところには十五歳の美少女の姿で、悪人の所には醜悪な老婆の姿がやってくるとのことです。
つまりゾロアスター教的には全人間中で十五歳の美少女最高ってことになるはずなんですが、それにもかかわらず理想的なはずの神の国で、若くして死んだものだけが十五歳の姿になって、あとの者はみんな四十歳の姿で固定というのはいかがなものでしょう。
悪人をきっちり裁く規範意識の高さと、異教徒まで天国に迎え入れ悪人まで救って神の国に導き入れる度量の大きさを兼ね備えた、素晴らしい救済宗教なのに、個人的にはこの一点で台無しです。
せっかくだから、全人類が十五歳の美少女に変わるって方向に修正していただきたい。
参考資料
『聖書 新共同訳』 日本聖書協会
井筒俊彦著『コーラン』(の訳書と称する日本語による解説文書) 岩波文庫
岡田昭憲著『ゾロアスター教の悪魔払い』 平河出版社
岡田昭憲著『ゾロアスターの神秘思想』 講談社現代新書
『無量寿経訳解』大内青巒訳,安藤正純注 国母社(『無量寿経』は詳細な極楽の情景描写で知られている。)
『浄土三部経』稲葉一道標註 赤松連城(内容は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』。)
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宗教の話をいくつか
旅行業と巡礼
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/travel.html
自殺と往生
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html
西洋キリスト教史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970516.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971212.html
イスラム教歴史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011005.html
中国仏教史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011221.html
今回はその幸福な来世がどんなものなのか、幾つかの宗教について、具体的内容を軽く調べてみることにしました。
では西の方から順番に。
キリスト教
最後の審判を受けて、キリスト教徒の善人には「新しい天と新しい地」が与えられ、彼等は「神のもと」から下って来た「聖なる都、新しいエルサレム」の門に迎え入れられる。
都は「高い大きな城壁」で囲まれ、「碧玉」「サファイア」「めのう」「エメラルド」「赤縞めのう」「かんらん石」「緑柱石」「黄玉」「ひすい」「青玉」「紫水晶」「真珠」「純金」で飾られており、「最高の宝石」のように神の栄光に輝く。
「水晶のように輝く命の水の川」が「都の大通りの中央を流れ」てその水をただで飲むことができ、「その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。」
「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。」
「神が世々限りなく統治」するが、神が統治者として玉座に君臨する以上、それ以外に神殿などという余計なものは存在しない。
都に迎え入れられた者たちは、「神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る」ことができる。「彼らの額には、神の名が記されている。」
(「」内は『聖書 新共同訳』「ヨハネの黙示録」より。)
イスラム教
最後の審判を受けて、信徒の善人は「休らぎと、美き薫りと、至福の楽園」に入ることができ、「見はるかす緑の園」の「緑したたる」中、「絶対に腐ることのない水をたたえた川」「いつまでたっても味の変わらぬ乳の河」「飲めばえも言われぬ美酒の河」「澄みきった蜜の河」の流れる「絶対安全な場所」で、「涼しい木蔭」にあって、「そこではもう灼けつく太陽にも、氷る寒気にも襲われずにすむ。」「住居は立派なもの」だし「欲しいものはなんでもある」。
一同は「胸の中にある怨みつらみは全部あらかじめ取り除いて」おかれるので「お互いに兄弟のようになって」宴席に連なるが、そこでは「緑の紗綾」「金襴の衣」を身にまとった「絹ずくめ」の装いで、「黄金の腕環」「白銀の腕環」「大粒の真珠」で美しく身を飾り、「ふんわりと褥ととのい」「絢爛と敷物うち敷いて」「錦張りつめた」「金糸まばゆい」「豪華な臥牀」の上に「ゆったり身をのばす」ことができる。「例のおいしい食物」「すなわち、くさぐさの果物」ならば「欲しいものがなんでもある」し、「肉は出す」「欲しいものはなんでも授ける」で、「飲めばえも言えぬ心持よさ」の「いくら飲んでも頭がいたんだり、酔って性根を失くしたりせぬ」「薄荷」「生薑」を「ほどよく混ぜた」酒も、「こんこんと湧き出る泉から汲みたて」の状態で「銀玻璃の盃」で飲むことができる。食べるも飲むも「思いのままに」「心ゆくまで」することができ、「楽しみごとに忙がしい」。しかもこの宴会では「馬鹿話」も「嘘いつわり」も「乱暴狼藉」も出てこない。
「あたり一面まき散らした真珠かとまごうばかり」の美しい「永遠の若人」が「専属のお小姓」として「お酌してまわる」ほか、神が「お手ずから」飲み物を注いでくださる。「側に侍るは目差しもしとやかな」「眼ぱっちりした美人ぞろい」の「目もとすずしい」「乙女ら」で、「胸のふくれた」「体は砂に隠れた卵さながら」に純白にうっすら黄色を帯びた極上の色つや、「愛情こまやか」にして「年齢ごろも丁度似合い」。その上、神が「新しく」「特に作った処女ばかり」。この「人間にも妖霊にも体を触れられたことのない」「つぶら瞳の美女たちを妻として与え」られる。
(「」内の語句は井筒俊彦『コーラン』の訳書と称する日本語による解説文書 岩波文庫より。15、16、 35~37、44、47、52、55、56、69、74、76~78、88章)
ゾロアスター教
死後、善人の魂はこの上なく美しく芳香に満ちた天国に入り、甘露を供されて不死性を獲得し天国の住人となる。天国の住人は光り輝く美しい体を持ち、黄金の座を与えられ、金銀宝石で装飾された衣服で着飾っている。天国には良いものは全て備わっており、欠乏や苦痛、老いは存在しない。なおゾロアスター教の儀礼や慣習を実行しない者でも、善人であれば天国の下層に住むことが許される。
世界の終末が訪れると善悪全ての人が生前同様の肉体を持って復活し最後の審判を受ける。審判の後の三日間、人は、霊魂だけで過ごしたそれまでと異なり、肉体を持って生前の善悪の報いを受け、善人は肉体を持って天国で過ごすことになる。
そして肉体への報いの三日間の後、地球を包む大火によって地下の全ての鉱石が熔鉱となって流出し、熔鉱によるこの世の全ての汚れの浄化が行われる。熔鉱は、悪人にとっては恐ろしいが、善人にとっては温暖な牛乳に浸るような快さである。
熔鉱による清めのあと、最高神アフラ・マズダーの理想を実現した新しい完璧な世界が誕生するが、そこでは山や谷のない平坦な大地の上に美しく香りが良く枯れることのない植物が生え、飢えや渇き、戦争、病気は存在しない。人は、犠牲の聖牛ハダーヨーシュから得た脂肪と世界再建のための霊的植物の白ハオマを混ぜた甘露を飲まされることで永遠不壊の命を得て、同一の言語を使って神々を讃えながら、何の心配もなく生活する。熟年に達して死んだ人は四十歳、若くして死んだ人は十五歳の姿に作り変えられる。生前同様に妻子が与えられ、性の営み・快楽も存在するが、新たに子供が生まれることはない。
仏教
生きとし生けるものは阿弥陀仏を信じれば全て救済を受け、死後、仏の国土たる極楽に生まれることが可能である。
「淸淨安穩微妙快楽」な仏の「國土」では「自然」に「一切」の宝が「合成」し、「金」「銀」「瑠璃」「玻璃」「珊瑚」「碼碯」「硨磲」の七宝でできた「樹」が満ちあふれている。見つめられぬほど「榮色光耀」たる輝きを放っていて、「百千萬色」に変幻して、「無量光」が「一切」の「莊嚴」を見事に現出している。
「不暑不寒」の「涼」しく「柔」らかな「淸風」は、自ずと調和して、「寶樹」の「枝葉」を吹き鳴らす「妙法」の音楽となって「法音」を奏で、「萬種」の「温雅」な「徳香」を「流布」するとともに、「仏土」中に「華」を「散」り広げている。その「一々」の「華」の「中」からは無数の「光」が出て、「一々」の「光」の「中」から無数の仏が現れ、「各々」「光明」を「放」ち「法」を「説」いて、「衆生」を「仏」の「正道」に「安立」させてくれる。
多くの「浴地」や「池」があって、「寶」の「沙」の上に「八功徳」を備えた「水」が「滿」ちているが、その水は「淸淨」で「香」は「潔」く、「味」は「甘露」のようである。浴せば精「神」は「開」かれ「躰」は「悦」び「心垢」は除かれるが、「足」「膝」「腰」「頸」までといった水位あるいは「冷暖」は「隨意」である。「波音」は「快楽」の「音」であり、岸には「栴檀」の「香気」が満ち、「水上」には「優鉢羅華」「鉢曇摩華」「拘物頭華」「分陀利華」といった蓮の花が「色」とりどりに「覆」い「光」っている。
「宮殿」「飲食」「衣服」や「莊嚴之具」などは、享楽を事とする世界である「第六天」の「自然之物」のように素晴らしい。
七宝が「自然」と「講堂精舎宮殿樓観」といった建築物となり、その上から「眞珠」「明月」「摩尼」といった宝玉が覆いとなってかぶさっている。
「食」を「欲」すれば「自然」と「七寶」の「鉢器」が現れて「百味」の「飲食」で「満」たされる。
「地」には宝でできた「妙衣」が敷いてあり、「四面」には、上空を「覆」う「金鏤眞珠」等で「飾」られた「寶網」が、「寶鈴」を付けて「垂」れ下がってる。
ここでは人は「皆」、「自然」と「智慧高明」「顔貌端正」「容色微妙」な「天人」としての「身」「躰」を得る。
(「」内の語句は『無量寿経』より。)
以上、いくつかの宗教の天国・極楽の有様を見てきたわけですが、処女とかお小姓とか酒に食事に金銀財宝でピッカピカとか、どれもこれも凡俗にもわかりやすい極めて具体的物質的な幸福ぶり、言うなれば素敵な俗物っぷりで、大変結構なことだと思います。皮肉じゃなしに。
天国・極楽が清浄なだけのつまらない世界では、むしろ地獄行きを望む人間が溢れそうですから、天国・極楽たるもの俗的欲望の方面にもきちんと対処してくれねば困るというものです。こうあってこそ所詮多くが凡人に過ぎない信者たちの心を鼓舞できるというものです。
というわけでこれらの素敵俗物ランドには個人的には大満足なわけですが、どうしてもひとつだけツッコミたいところがあります。
それはゾロアスター教の審判後の神の国なんですけど、肉体を盛期を過ぎた40歳で固定するのはちょっと酷いと思います。どうせなら、もっと元気な年頃にしてあげましょうよ。
ちなみにゾロアスター教では、死者の霊界への旅路をその者の良心であるダエーナーが女の姿で現れ導いてくれるということになっているのですが、その際善人のところには十五歳の美少女の姿で、悪人の所には醜悪な老婆の姿がやってくるとのことです。
つまりゾロアスター教的には全人間中で十五歳の美少女最高ってことになるはずなんですが、それにもかかわらず理想的なはずの神の国で、若くして死んだものだけが十五歳の姿になって、あとの者はみんな四十歳の姿で固定というのはいかがなものでしょう。
悪人をきっちり裁く規範意識の高さと、異教徒まで天国に迎え入れ悪人まで救って神の国に導き入れる度量の大きさを兼ね備えた、素晴らしい救済宗教なのに、個人的にはこの一点で台無しです。
せっかくだから、全人類が十五歳の美少女に変わるって方向に修正していただきたい。
参考資料
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宗教の話をいくつか
旅行業と巡礼
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/travel.html
自殺と往生
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html
西洋キリスト教史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970516.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971212.html
イスラム教歴史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011005.html
中国仏教史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011221.html
by trushbasket
| 2008-03-12 20:44
| My(山田昌弘)








