2008年 03月 16日
<言葉> 自由な社会の基本ルール
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好きな言葉を取り上げる記事を書いてみようとずっと思ってました。
ところが他人の文言を取ってくる以上、それが著作権の切れた人でなければ、どうにか引用として認められねばならず、そして引用が認められるには、それなりの量の関連性ある文章を、自分で付け加えて書かねばなりません。ところが好きな言葉というのは、その言葉に納得している以上、そんなに色々付け加えて語りたいとは思わないわけで、どうしたものか悩んでいました。
でもまあ、一度ためしにやってみようかと思います。
とりあえず今回はJ.S.ミル『自由論』から。
ミルは同書の中で自由主義を二つの格率(マキシム)にまとめていますが、その
まともに近代化した社会の基本ルールですね。
日本の公民教育も、憲法前文暗記させる無駄な宿題とか出してる暇があるなら、憲法とか人権の暗黙の前提であるところの、自由の精神のこういう基本的な内容を少年少女の頭に叩き込むことに力を向けてくれれば良かったのに。
憲法とか憲法の掲げる人権とか平和なんて所詮、個々人の自由を確保するための手段に過ぎないので、まず前提として究極目的である自由のなんたるかを身につけるようにしないと。
基本的な自由の精神を体得してない人間が、憲法だの権利だの平和だのを文言だけかじると、正義の味方気取りでかっこつけて、偉そぶって自己顕示欲や権力欲を満たすため、あるいは、個人的な価値観にそぐわない他人を矯正その他の名目で弾圧排除するために、権利や平和といった小綺麗な文言を魂抜きに振り回して、かえって権利や平和で守ろうとした人間の自由が蹂躙されるなんていう、醜悪な事態が生じてくるわけですし。
それにしても、なんであんな変な宿題出したんだろう。
まあ宿題の理由はさておき、社会の大多数を占める本物のサイレント・マジョリティはこんなことは言われるまでもなく自然の生活の中で身につけているものなのですが、そういった本物のサイレント・マジョリティの真っ当な人間が、日々の生活とささやかな楽しみの中で淡々と真面目に生きている隙に、一部の声のでかい小利口な運動屋だの似非知識人だのの類は、その隙につけ込んで魂の抜けた人権や平和の文言を振り回して大騒ぎ、意図してかしないでかはともかくも自由の精神を踏みにじる結果となるので、たいへん見苦しく鬱陶しい。
総体としての大衆の無言の選択は、歴史的に見れば賢明なもので、必ず社会をより良い方向に導いていくものであり、そんな一部の運動屋の行動なんかは悪影響も一時のことに過ぎないわけですが、一時のことでも鬱陶しいものは鬱陶しいですし、見苦しいものを見なくて済んだり見る機会が減ったり、見苦しい行動の影響範囲が狭まったりするのなら、それに超した事はありません。
というわけで、ちょっとでも見苦しい事態を抑止するために、社会に冒頭の格率の精神が周知徹底されるような公民教育が実施されるようになったら良いなあ。
そういった教育が騒動屋の精神に直接影響することはなくとも、暗黙の存在である自由の精神を一度公然のルールとして明示して見せつけておくことで、それに反した行動を慎ませる社会的雰囲気くらいは作り出せるかも知れませんし。
まあ仮にそうなっても騒動屋が雰囲気に遠慮するとも思えないのですが、それでも騒動屋の影響がうっかり広がる範囲を狭める程度の効果は期待できるでしょう。
ところで冒頭に引用した格率だと、いささか抽象的に過ぎるので、もう少し生活上の心構えとして適用しやすい、もう半歩具体化した文章を、これまたミルの『自由論』から引用しておきましょう。
要するに、他人の愚劣な趣味や性向が気にくわない場合、その人間を嫌悪するのは構わないが、それ以外に懲罰として加害することは許されないってことです。
変な趣味性癖や身なりをした奇人変人変態といったキモい奴も、嫌って良いけど、だからといって攻撃したり処罰してはいけないってことです。
とりあえず、大して面白くない内容をダラダラ語ってしまいましたが、よそから文言を引用してくるためには、引用した文言に関連したことを相当量語らざるを得ない以上、やむを得ないものとしてお許し下さい。
まあ、次に投稿する歴史系の記事がキモい奴がメディアや大衆に中傷・攻撃される話になりそうなので、それに先立ってこういう話をしとくのも、悪くは無いでしょう。
ところが他人の文言を取ってくる以上、それが著作権の切れた人でなければ、どうにか引用として認められねばならず、そして引用が認められるには、それなりの量の関連性ある文章を、自分で付け加えて書かねばなりません。ところが好きな言葉というのは、その言葉に納得している以上、そんなに色々付け加えて語りたいとは思わないわけで、どうしたものか悩んでいました。
でもまあ、一度ためしにやってみようかと思います。
とりあえず今回はJ.S.ミル『自由論』から。
ミルは同書の中で自由主義を二つの格率(マキシム)にまとめていますが、その
二つの格率とは、第一に、個人は、彼の行為が彼自身以外の何ぴとの利害とも無関係である限りは、社会に対して責任を負っていない、ということである。他人による忠告、教示、説得、および他の人々が彼等自身の利益のためにその必要があると考える場合に彼を回避することは、社会がその個人の行為に対する嫌悪や非難を正当に表現するための、それしかない手段である。第二には、他人の利益を害する行為については、個人は責任があり、また社会が、その防衛のためには社会的刑罰または法律的刑罰を必要とするという意見である場合には、個人はそのいずれかに服さねばならないであろう、ということである。
(J.S.ミル『自由論』塩尻公明/木村健康訳 岩波文庫 189~190頁)
まともに近代化した社会の基本ルールですね。
日本の公民教育も、憲法前文暗記させる無駄な宿題とか出してる暇があるなら、憲法とか人権の暗黙の前提であるところの、自由の精神のこういう基本的な内容を少年少女の頭に叩き込むことに力を向けてくれれば良かったのに。
憲法とか憲法の掲げる人権とか平和なんて所詮、個々人の自由を確保するための手段に過ぎないので、まず前提として究極目的である自由のなんたるかを身につけるようにしないと。
基本的な自由の精神を体得してない人間が、憲法だの権利だの平和だのを文言だけかじると、正義の味方気取りでかっこつけて、偉そぶって自己顕示欲や権力欲を満たすため、あるいは、個人的な価値観にそぐわない他人を矯正その他の名目で弾圧排除するために、権利や平和といった小綺麗な文言を魂抜きに振り回して、かえって権利や平和で守ろうとした人間の自由が蹂躙されるなんていう、醜悪な事態が生じてくるわけですし。
それにしても、なんであんな変な宿題出したんだろう。
まあ宿題の理由はさておき、社会の大多数を占める本物のサイレント・マジョリティはこんなことは言われるまでもなく自然の生活の中で身につけているものなのですが、そういった本物のサイレント・マジョリティの真っ当な人間が、日々の生活とささやかな楽しみの中で淡々と真面目に生きている隙に、一部の声のでかい小利口な運動屋だの似非知識人だのの類は、その隙につけ込んで魂の抜けた人権や平和の文言を振り回して大騒ぎ、意図してかしないでかはともかくも自由の精神を踏みにじる結果となるので、たいへん見苦しく鬱陶しい。
総体としての大衆の無言の選択は、歴史的に見れば賢明なもので、必ず社会をより良い方向に導いていくものであり、そんな一部の運動屋の行動なんかは悪影響も一時のことに過ぎないわけですが、一時のことでも鬱陶しいものは鬱陶しいですし、見苦しいものを見なくて済んだり見る機会が減ったり、見苦しい行動の影響範囲が狭まったりするのなら、それに超した事はありません。
というわけで、ちょっとでも見苦しい事態を抑止するために、社会に冒頭の格率の精神が周知徹底されるような公民教育が実施されるようになったら良いなあ。
そういった教育が騒動屋の精神に直接影響することはなくとも、暗黙の存在である自由の精神を一度公然のルールとして明示して見せつけておくことで、それに反した行動を慎ませる社会的雰囲気くらいは作り出せるかも知れませんし。
まあ仮にそうなっても騒動屋が雰囲気に遠慮するとも思えないのですが、それでも騒動屋の影響がうっかり広がる範囲を狭める程度の効果は期待できるでしょう。
ところで冒頭に引用した格率だと、いささか抽象的に過ぎるので、もう少し生活上の心構えとして適用しやすい、もう半歩具体化した文章を、これまたミルの『自由論』から引用しておきましょう。
愚劣な言行には程度がある。その程度が低劣な趣味または堕落した趣味(この用語には異議がないとはいえないが)と呼ばれうるものに達した場合には、たとえ、このような愚行と趣味との故に、それを露呈した人に害を加えることは正当化しえないとはいえ、その人物が嫌悪の的となり、また極端な場合には軽蔑の的とさえなることは、避けえないことでありまた当然のことでもある。…(中略)…しかし彼がこのような罰を受けるのは、これらの罰が、欠点そのものから生ずる自然的な、いわば自然発生的な、結果であるかぎりであって、その罰が、懲罰の目的で故意に彼の上に課せられるからではない。
(前掲書 155~157頁)
要するに、他人の愚劣な趣味や性向が気にくわない場合、その人間を嫌悪するのは構わないが、それ以外に懲罰として加害することは許されないってことです。
変な趣味性癖や身なりをした奇人変人変態といったキモい奴も、嫌って良いけど、だからといって攻撃したり処罰してはいけないってことです。
とりあえず、大して面白くない内容をダラダラ語ってしまいましたが、よそから文言を引用してくるためには、引用した文言に関連したことを相当量語らざるを得ない以上、やむを得ないものとしてお許し下さい。
まあ、次に投稿する歴史系の記事がキモい奴がメディアや大衆に中傷・攻撃される話になりそうなので、それに先立ってこういう話をしとくのも、悪くは無いでしょう。
by trushbasket
| 2008-03-16 20:30
| My(山田昌弘)








