2008年 04月 06日
南北朝における歴史人物の筆跡
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最近はパソコンや携帯電話でのメールなどが普及し、自分で字を書く機会もめっきり減ってきましたが、それでも筆跡がその人柄を反映するという事がいまだに言われます。そこで、今回は南北朝時代に活躍した主要な人物の筆跡について少し述べてみたいと思います。ただ、僕には昔の文書を見て他人の筆跡の上手下手を鑑定できるだけの審美眼も鑑定眼もないので、僕が筆跡を判断するのでなく歴史学者などによる評価を中心に述べます。
まずは、この時代最大の英雄とされる楠木正成から見る事にしましょう。正成の残した真筆の文書は数少ないのですが、それらに見られる筆跡は基本的に見事で教養を窺わせるものといわれています。また、中村直勝氏などによれば後醍醐天皇や護良親王といった大覚寺統の人々とも共通する性格の文字だとも言えるそうです。因みに、持明院統の人々が日本独自の書道を発展させた文字を書いているのに対し大覚寺統は中国風の文字を書く傾向があると言われています。後醍醐天皇周辺が宋学を導入し思想的バックボーンにしていたとされる事が連想されます。一説では、後醍醐に宋学の講義をしたといわれる玄恵法師と正成は親類関係にありその縁で教養傾向を共有する事になったとも言われてたりいます。
しかし、ここで疑問が浮かび上がってきます。鎌倉期に筑後守に任じられた伊勢国の藤原実重は少数の漢字とたどたどしい仮名文字を書くのがせいぜいだったり、南北朝期においても山名時氏が文字を書けなかったりといったようにある程度の武士でさえ読み書きに不自由する例が散見されています。ましてや、出自が不明で身分の低い地方豪族出身とされる楠木氏がそうした中央の教養を手に入れられるものなのでしょうか?
この疑問の答えを探るため、視点を変えて別の人物の教養について述べてみたいと思います。薬師寺公義という人物は、尊氏の執事である高師直の側近です。「太平記」では師直が塩冶高貞の妻に横恋慕した際に恋文の代筆をしたり、師直が直義に敗れた際に降伏に反対するも容れられず出家した立ち去ったとされています。ただし、史実では彼は関東で高師冬配下におり、師直と直義が争っていた際にも関東で戦闘に従事していたようです。抗争の旗色を見て師直から直義、直義から尊氏へと渡り歩いて生き延びています。
当時の風潮を代表するような強かな出処進退を見せる公義ですが、歌人としても名高かったようです。当時の朝廷における和歌の宗匠的存在である二条為定を師匠としており、勅撰集にも「新千載集」に1首・「新続拾遺集」に4種が採用されている程でした。また、自身の歌をまとめた「元可法師集」を編纂してもいます。まあ、同時代の宗良親王や頓阿のように歌人として特筆すべき存在とまでは言えないようですが低い身分出身の歌人として当時の人々からは人気がありました。
公義の出自は、関東小山氏の末裔という説もありますが近年の研究では摂津の橘氏系統を名乗る薬師寺氏であるとされています。彼らは菊水の紋を用い、摂津を拠点にして兵庫港などの水運に利権を持っていたようです。こうして見ると、薬師寺公義は陣営や行動は大きく異なるとはいえ、社会的出自から見ると楠木正成と共通した性格を持った存在といえる訳ですね。そんな公義が当時有数の歌人として持て囃された事を考えると、正成が朝廷の文化・教養人と繋がりを持ち自身も教養を得ていたとしても不思議はありません。
更に言えば、「太平記」に登場する児島高徳が、漢籍教養を基にしてまだ天皇に忠誠を誓う臣下がいることを隠岐に流される後醍醐にアピールしている事は有名です。高徳の実在については疑問を持つ向きもありますが、児島氏が海運・修験道の要地である児島半島に利権を持ち商業の発達で台頭した新興豪族である事や「太平記」編纂に関与した可能性がある事が指摘されています。「悪党」と呼ばれる新興豪族の教養を舐めてはいけないという事ですね。正成の筆跡から中国風教養が伺われるというのもそうした一例なんでしょう。
さて、話が大分逸れましたが筆跡の話に戻りましょう。後醍醐天皇をはじめとする大覚寺統の人物の筆跡が中国風であることは前述しましたが、さすがに後醍醐の筆跡は帝王らしい見事なものであるという点で多くの意見が一致しているようです。例えば高柳光寿氏は、その書を重量感があり荘重で豊潤、雄健にして堂々としていると高く評価しています。一方で後醍醐死後に南朝を指揮した北畠親房は、筆跡に限定して言えば当時の貴族としてありふれた標準のものであったようです。
次に、後醍醐天皇と対抗して政権を築き上げた足利尊氏の筆跡について述べる事にしましょう。尊氏の筆跡については余り言及する人はいませんが、尊氏の伝記を記した高柳光寿氏が感想を述べています。曰く、「尊氏の筆跡は、従来の概念、すなはち普通の書道からいふと、決して上手とはいへない。」「彼の筆法は従来の書道にない筆法であるし、また後世の書道にもない筆法である。だがしかし一種の筆法として特殊の味を持つものであることには相違ない。」「味が深い」(「足利尊氏」より)など。…「味がある」とかその類の台詞って、他に褒めようがない時に使うものじゃないでしょうか。僕も書道の時間に「個性的だ」なんて言われた口なので分かりますが。
他に、「尊氏の筆跡と比較すると、従来の感覚からいへば正成の方が尊氏よりも上手といへるであらう。しかし、それは三流四流の画家の絵の方が素人の絵よりも上手だといふ類」(同「足利尊氏」)とも言われていますが、それで言えば低い身分出身で出自不明の正成が曲がりなりにもプロレベルなのに当時有数の名門出身で最高レベルの教育を受けた尊氏は素人の域ですか、やれやれ。
更に高柳氏は秀吉の筆跡を引き合いに出し、「児童の文字と思へばよい。運筆は不自由である、しかし運筆をさせる精神は自由である。規格といふものを知らない。」「上手に書かうなどといふようなケチな心が少しもない」(同「足利尊氏」)と秀吉を評価し、その上で尊氏も秀吉には及ばないものの同様な観点から評価すべきだと述べています。
以上、何だかかなり無理して褒めているような感じを受けます。要は、尊氏の字ははっきり言って達筆とは言い難いという事ですね。
比較のために、尊氏と同じ環境にいたといえる弟・直義や執事・高師直についても述べておきます。直義の筆跡はけれん味のない正直なものと評され、禅宗の影響を強く受けたか唐様の字を書いていたそうです。また、師直の筆跡も教養人といってよい見事なものと言われています。尊氏の筆跡が上述のようなものであった理由は、あくまでも彼個人に帰せられると見て良いでしょう。ただ、誤解のないように言っておきますと、尊氏の書く文字に見るべき所がない訳ではないようです。中村直勝氏なども尊氏の花押は歴代武将の中でも最も立派なものの一つだと評価していますし、和歌を数多く詠むなど当時としてかなりの教養人であったのは事実です。まあ、小さな事には拘らない大鷹な人物だったようなので、らしいと言えばらしいですかね。
以上をまとめると、
・楠木正成の筆跡は教養を窺わせる中々見事なものである。
・「悪党」すなわち新興豪族の教養は意外に馬鹿にできない。
・当時の貴族社会では持明院統が日本独自の書風なのに対し大覚寺統は中国風。
・後醍醐天皇の筆跡はやはり帝王にふさわしい見事なものである。
・北畠親房は学問では優れているが筆跡は貴族として平均並。
・足利尊氏は名門出で教養人なのに「個性的」で「味のある」字を書いていた。
ということがいえそうです。
【参考文献】
楠氏研究 藤田精一 広島積善館
南朝の研究 中村直勝 星野書房
楠木正成 植村清二 中公文庫
楠木正成と悪党 海津一朗 ちくま新書
武士から王へ 本郷和人 ちくま新書
「群書類従第二十一号合戦部 続群書類従完成会」より「難太平記」
「ばさら大名のすべて 佐藤和彦編 新人物往来社」より「薬師寺公義・民衆世界のばさら 海津一朗」
太平記の群像 森茂暁 角川選書
後醍醐天皇 森茂暁著 中公新書
帝王後醍醐 村松剛 中央公論社
足利尊氏 高柳光寿著 春秋社
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄 中公文庫
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
関連記事(2009年5月14日新設)
ロリコン外伝―南北朝前史―
「足利尊氏」補足~南北朝の動乱とメイドさん~
「南朝五忠臣」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「政治家の発言―足利尊氏問題考―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
南北朝時代の人物については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
もご参照ください。
「後醍醐天皇 幼女誘拐・セックス宗教 どんとこい 政治工作のためだもの ~理由が何だろうがダメなものはダメ~」
「高師直 スケベで知られた権力者、思い焦がれた挙げ句に美女の風呂覗き」
「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「太平記 現代語訳」(http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/taiheiki/)
かなり砕けた訳になっています。
「芝蘭堂」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
「梅松論」を始めとして南北朝関連文献の現代語訳などがあります。
「財団法人 日本習字教育財団」(http://www.nihon-shuji.or.jp/)
「正しい美しい愛の習字」が基本理念だそうです。
リンクを変更(2010年12月8日)
まずは、この時代最大の英雄とされる楠木正成から見る事にしましょう。正成の残した真筆の文書は数少ないのですが、それらに見られる筆跡は基本的に見事で教養を窺わせるものといわれています。また、中村直勝氏などによれば後醍醐天皇や護良親王といった大覚寺統の人々とも共通する性格の文字だとも言えるそうです。因みに、持明院統の人々が日本独自の書道を発展させた文字を書いているのに対し大覚寺統は中国風の文字を書く傾向があると言われています。後醍醐天皇周辺が宋学を導入し思想的バックボーンにしていたとされる事が連想されます。一説では、後醍醐に宋学の講義をしたといわれる玄恵法師と正成は親類関係にありその縁で教養傾向を共有する事になったとも言われてたりいます。
しかし、ここで疑問が浮かび上がってきます。鎌倉期に筑後守に任じられた伊勢国の藤原実重は少数の漢字とたどたどしい仮名文字を書くのがせいぜいだったり、南北朝期においても山名時氏が文字を書けなかったりといったようにある程度の武士でさえ読み書きに不自由する例が散見されています。ましてや、出自が不明で身分の低い地方豪族出身とされる楠木氏がそうした中央の教養を手に入れられるものなのでしょうか?
この疑問の答えを探るため、視点を変えて別の人物の教養について述べてみたいと思います。薬師寺公義という人物は、尊氏の執事である高師直の側近です。「太平記」では師直が塩冶高貞の妻に横恋慕した際に恋文の代筆をしたり、師直が直義に敗れた際に降伏に反対するも容れられず出家した立ち去ったとされています。ただし、史実では彼は関東で高師冬配下におり、師直と直義が争っていた際にも関東で戦闘に従事していたようです。抗争の旗色を見て師直から直義、直義から尊氏へと渡り歩いて生き延びています。
当時の風潮を代表するような強かな出処進退を見せる公義ですが、歌人としても名高かったようです。当時の朝廷における和歌の宗匠的存在である二条為定を師匠としており、勅撰集にも「新千載集」に1首・「新続拾遺集」に4種が採用されている程でした。また、自身の歌をまとめた「元可法師集」を編纂してもいます。まあ、同時代の宗良親王や頓阿のように歌人として特筆すべき存在とまでは言えないようですが低い身分出身の歌人として当時の人々からは人気がありました。
公義の出自は、関東小山氏の末裔という説もありますが近年の研究では摂津の橘氏系統を名乗る薬師寺氏であるとされています。彼らは菊水の紋を用い、摂津を拠点にして兵庫港などの水運に利権を持っていたようです。こうして見ると、薬師寺公義は陣営や行動は大きく異なるとはいえ、社会的出自から見ると楠木正成と共通した性格を持った存在といえる訳ですね。そんな公義が当時有数の歌人として持て囃された事を考えると、正成が朝廷の文化・教養人と繋がりを持ち自身も教養を得ていたとしても不思議はありません。
更に言えば、「太平記」に登場する児島高徳が、漢籍教養を基にしてまだ天皇に忠誠を誓う臣下がいることを隠岐に流される後醍醐にアピールしている事は有名です。高徳の実在については疑問を持つ向きもありますが、児島氏が海運・修験道の要地である児島半島に利権を持ち商業の発達で台頭した新興豪族である事や「太平記」編纂に関与した可能性がある事が指摘されています。「悪党」と呼ばれる新興豪族の教養を舐めてはいけないという事ですね。正成の筆跡から中国風教養が伺われるというのもそうした一例なんでしょう。
さて、話が大分逸れましたが筆跡の話に戻りましょう。後醍醐天皇をはじめとする大覚寺統の人物の筆跡が中国風であることは前述しましたが、さすがに後醍醐の筆跡は帝王らしい見事なものであるという点で多くの意見が一致しているようです。例えば高柳光寿氏は、その書を重量感があり荘重で豊潤、雄健にして堂々としていると高く評価しています。一方で後醍醐死後に南朝を指揮した北畠親房は、筆跡に限定して言えば当時の貴族としてありふれた標準のものであったようです。
次に、後醍醐天皇と対抗して政権を築き上げた足利尊氏の筆跡について述べる事にしましょう。尊氏の筆跡については余り言及する人はいませんが、尊氏の伝記を記した高柳光寿氏が感想を述べています。曰く、「尊氏の筆跡は、従来の概念、すなはち普通の書道からいふと、決して上手とはいへない。」「彼の筆法は従来の書道にない筆法であるし、また後世の書道にもない筆法である。だがしかし一種の筆法として特殊の味を持つものであることには相違ない。」「味が深い」(「足利尊氏」より)など。…「味がある」とかその類の台詞って、他に褒めようがない時に使うものじゃないでしょうか。僕も書道の時間に「個性的だ」なんて言われた口なので分かりますが。
他に、「尊氏の筆跡と比較すると、従来の感覚からいへば正成の方が尊氏よりも上手といへるであらう。しかし、それは三流四流の画家の絵の方が素人の絵よりも上手だといふ類」(同「足利尊氏」)とも言われていますが、それで言えば低い身分出身で出自不明の正成が曲がりなりにもプロレベルなのに当時有数の名門出身で最高レベルの教育を受けた尊氏は素人の域ですか、やれやれ。
更に高柳氏は秀吉の筆跡を引き合いに出し、「児童の文字と思へばよい。運筆は不自由である、しかし運筆をさせる精神は自由である。規格といふものを知らない。」「上手に書かうなどといふようなケチな心が少しもない」(同「足利尊氏」)と秀吉を評価し、その上で尊氏も秀吉には及ばないものの同様な観点から評価すべきだと述べています。
以上、何だかかなり無理して褒めているような感じを受けます。要は、尊氏の字ははっきり言って達筆とは言い難いという事ですね。
比較のために、尊氏と同じ環境にいたといえる弟・直義や執事・高師直についても述べておきます。直義の筆跡はけれん味のない正直なものと評され、禅宗の影響を強く受けたか唐様の字を書いていたそうです。また、師直の筆跡も教養人といってよい見事なものと言われています。尊氏の筆跡が上述のようなものであった理由は、あくまでも彼個人に帰せられると見て良いでしょう。ただ、誤解のないように言っておきますと、尊氏の書く文字に見るべき所がない訳ではないようです。中村直勝氏なども尊氏の花押は歴代武将の中でも最も立派なものの一つだと評価していますし、和歌を数多く詠むなど当時としてかなりの教養人であったのは事実です。まあ、小さな事には拘らない大鷹な人物だったようなので、らしいと言えばらしいですかね。
以上をまとめると、
・楠木正成の筆跡は教養を窺わせる中々見事なものである。
・「悪党」すなわち新興豪族の教養は意外に馬鹿にできない。
・当時の貴族社会では持明院統が日本独自の書風なのに対し大覚寺統は中国風。
・後醍醐天皇の筆跡はやはり帝王にふさわしい見事なものである。
・北畠親房は学問では優れているが筆跡は貴族として平均並。
・足利尊氏は名門出で教養人なのに「個性的」で「味のある」字を書いていた。
ということがいえそうです。
【参考文献】
楠氏研究 藤田精一 広島積善館
南朝の研究 中村直勝 星野書房
楠木正成 植村清二 中公文庫
楠木正成と悪党 海津一朗 ちくま新書
武士から王へ 本郷和人 ちくま新書
「群書類従第二十一号合戦部 続群書類従完成会」より「難太平記」
「ばさら大名のすべて 佐藤和彦編 新人物往来社」より「薬師寺公義・民衆世界のばさら 海津一朗」
太平記の群像 森茂暁 角川選書
後醍醐天皇 森茂暁著 中公新書
帝王後醍醐 村松剛 中央公論社
足利尊氏 高柳光寿著 春秋社
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄 中公文庫
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
関連記事(2009年5月14日新設)
ロリコン外伝―南北朝前史―
「足利尊氏」補足~南北朝の動乱とメイドさん~
「南朝五忠臣」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「政治家の発言―足利尊氏問題考―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
南北朝時代の人物については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
もご参照ください。
「後醍醐天皇 幼女誘拐・セックス宗教 どんとこい 政治工作のためだもの ~理由が何だろうがダメなものはダメ~」
「高師直 スケベで知られた権力者、思い焦がれた挙げ句に美女の風呂覗き」
「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「太平記 現代語訳」(http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/taiheiki/)
かなり砕けた訳になっています。
「芝蘭堂」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
「梅松論」を始めとして南北朝関連文献の現代語訳などがあります。
「財団法人 日本習字教育財団」(http://www.nihon-shuji.or.jp/)
「正しい美しい愛の習字」が基本理念だそうです。
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-04-06 10:48
| NF








