2008年 04月 10日
<言葉> マニアから非マニアに向けて、どういう語りをするべきか
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されば専門専門というて、人の書いた書物ばかりよみ、あの説ももっともらしく、この説ももっともなところあるようなり、ええままよと一六勝負であっちに荷担し、こちらを受売りして一世を畢って何の実益なし。さし当たり相似をもって相似を、相似たる範囲内に相似たりと断定し、手近く喩えをこれに採って、及ぶだけさし当たった実用に間に合わせんには、昔の学識というものは専門にならでは応用奏功せざりし物にあらず。花五出するは常なり。六出する花の実は美味ならず。造化全功なし。単弁花はさまで美ならねども実を結ばずとか、角あるものは牙なしとか(実は過去地質期に角と牙を具えたものありしなり)、義理とふんどしはかかねばならぬとか、義と女を見てせざるは勇なきなりとか、専門に細心に穴ほぜりをしたら、ことごとく間違った皮想の見解ながら、さし当たりの十の八、九まで人天を一貫したらしき道理を見付けて世用に立て実際のことをそれで済ませたるなり。禅学の玄談というは、多くかかる不十分不徹底の道理を活用して、大いに世間の役に立てたるなり。
しかるに今の学問は粘菌と人間とは全く同じからずということばかり論究序述して教えるから、その専門家の外には少しも世益なきなり。仏人ヴェルノアいわく、学識が世益に遠きもののみならんには世人は学識を念頭に置かざるはずだ。これをもって後庭を掘らせつづけて辛抱すれば、往々淫汁ごとき流動体を直腸内に生じて多少の快味を生ずることなきに限らずなど、迂遠に無用のことを述ぶるよりも、水戸義公の政治は女を御するごとくすべし、小姓を御するごとくするなかれ、甲はすなわち上下共に喜悦し、乙は上のみ悦んで下は苦しむと一概にいいし方がよき教訓で世間を大益する。
(『南方熊楠コレクション第三巻 浄のセクソロジー』 河出文庫 337~338頁)
専門家が非専門家に、マニアが非マニアに物を語る際に心がけるべき姿勢を示すものとして、読むことができると思います。
そのような際には、常に、それが非専門家・非マニアにとっても十分分かりやすいものか、役に立つ物あるいは面白い物かって視点は忘れないようにしたいものです。十の内容を持ちながら常人には読みとれず使いこなせない学識よりも、八、九の内容だが容易に読みとり使いこなせる学識を。相手の興味・関心・必要性のレベルに合わせた、適切な語りを。
そして、専門家やマニアは、非専門家、非マニアの知識や理解の不足に出会った場合、そのことを嘆き非難するより前に、自分たちが、簡便に整理された分かりやすい知識体系を、魅力と説得力有る言葉かつ誰もが容易に手に取ることの出来る形で、語り広めその人に届けることに失敗してきたことを恥じる、そんな人間になるべきだと思います。
自分にとって興味深く面白い分野やネタでも、世界のほとんどの人にとっては、全くあるいは大した興味の持てない、もしくは嫌々触れるざるを得ないだけの情報なわけで、そんなとこに、多量の金や時間労力を割くことを期待などしてはいけないのです。自分と、自分と異なる趣味・志向・価値観を持った人との間には、絶望的な溝が横たわっているのです。
専門家やマニアともなれば、この溝の存在を見据えて、そこに橋を架ける力を身につけるべきなのです。
それにしても、熊楠、わりと良いこと言ってるのに、直腸内の淫汁・快味だの水戸義公のエロ政治論だのを持ち出して、微妙に台無しにしてしまうのは…、実に素晴らしい。
ところで、引用部分の比率が高くなってしまいました。まあ熊楠の著作権は切れてるはずですし、問題ないでしょう。
おまけ
直腸に淫汁と快味の生じてきそうな過去記事・発表特集
男色の対象年齢を日本史をもとに考える ~男の娘の華の命をどこまで延ばすか菊の露~
http://trushnote.exblog.jp/8102049/
ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史
http://trushnote.exblog.jp/8076521/
穴があったら入りたい 尻込みするほど恥ずかしい古代ギリシア文化史
http://trushnote.exblog.jp/7460698/
偉大なるダメ人間シリーズその8 プラトン(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529128/
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-04-10 02:22
| My(山田昌弘)








