2008年 05月 08日
世界の偉人とメイドさん
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『仮面のメイドガイ』八巻でメイドマスター・アラシは言いました。
メイドガイ・コガラシにはホラ学説と切って捨てられ、アラシにはとても信じられないと言われてしまうこの珍説ですが、実はホラとも言い切れません。デカルト、ショーペンハウアー、キルケゴール、マルクス、アーレント、ポパーと哲学者がメイドさんと大変縁が深いことは、すでにここと本体サイトで紹介してきたわけですが、メイドさんのパワーに支えられていたのは哲学者だけではなかったりするのです。
というわけで、今日はメイドさんの奉仕の力に支えられた偉人を哲学者以外で紹介してみようと思います。
まずはネルソン提督(1758~1805)。イギリスの誇る偉大な海軍軍人です。
彼はナポリ駐在のイギリス外交官ハミルトンの夫人エマを熱愛して不倫関係に入り、にもかかわらずハミルトンにも信愛され、挙げ句に妻を放置してハミルトン夫妻と共同生活を送るようになります。しかも共同生活に入った直後には、エマとネルソンとの間に子供まで生まれたりしています。
ところで、ネルソンが愛情を注いだこのエマ・ハミルトンは、下働きのメイド上がりの人間でした。
ちなみに彼女は、単にネルソンの愛情を受けただけではありません。彼女は、ネルソンの偉大な戦勝に貢献していたりもするのです。
エマと恋に落ちる直前の1798年、ネルソンは、ナポレオンの率いるフランスのエジプト遠征軍の船団をエジプトのアブキール湾で壊滅させ、フランス軍の帰航と増援の途を断ち切ってナポレオンをエジプトに孤立させます。この大勝利はネルソンを一躍英雄へと押し上げるのですが、実はこの偉功はエマ・ハミルトンの力によって可能になったのだそうです。この戦いの前、一度、フランス船団の追跡に失敗したネルソンは、シチリア島のシラクサに入ったのですが、その地を支配するナポリ王国はフランスの敵意を買うことを恐れ、ネルソンの艦隊に援助を与えてくれませんでした。ところが外交官夫人であったエマが、ナポリ宮廷で王妃の信頼を得ていたため、その影響力によって宮廷はシチリア島総督へ秘密命令を出し、それによってネルソンはシラクサで必要な補給を確保することができたのだそうです。この補給のおかげでネルソンは遅れを出すことなく追跡を再開でき、フランス船団に追いついて大勝利を得ることになったわけですが、シラクサにおける補給がなければ、アブキール湾で戦端をひらくことすらおぼつかなかったと、ネルソンは常々語っていたそうです。
なお、この戦いの直後ネルソンは回復が絶望視されるほどの高熱に襲われますが、ナポリに立ち寄り、エマ・ハミルトンの看病に癒され、やがては恋に落ちといった次第。
ちなみにエマとネルソンは、例のメイド哲学者ショーペンハウアーとも無縁ではなく、ナポリで王国を援けて共和主義者の反乱を鎮圧するなどしていたネルソンが、ハミルトン夫妻とともにイギリスへと帰国することになった途上、ハンブルクにやってきた際には、彼等はショーペンハウアーの母で社交家であったヨハナ・ショーペンハウアーと会っています。
ハンブルクは共和主義の伝統と道徳の厳しさを誇る都市なのですが、英雄ネルソンの名声はあまりにも高く、ハンブルクは、フランス共和主義革命の最大の敵手にしてナポリにおける共和主義の弾圧者、おまけに不倫野郎の彼を大歓迎します。
メイドさんパワーで燦然と輝く英雄の威光には、イデオロギーや道徳の違いを超えて人を惹きつける力が備わっているというわけですよ。
その後1803年4月にハミルトンはエマの腕に抱かれ、ネルソンの手を握りながら、ネルソンにエマを託して死にました。そしてネルソンは、引退してのエマと暮らしを望むようになり、「「あの邪魔者」──ネルソンは妻のことをこう呼んだ──「は、神が嘉したまいて、きっと除かれようから、その時は何年も何年も幸せな歳月をともにし」」(ロバート・サウジー『大航海者の世界VII ネルソン提督伝』原書房 339頁)ようとエマに誓います。ですがネルソンのその望みはかないませんでした。
1803年5月から1805年8月まで、ネルソンはフランス艦隊の監視と追跡に忙殺されており、船を離れることはその間わずかに三度、いずれも一時間を超えていません。そして1805年8月に帰宅して、わずか一月の休養の後、ネルソンは、彼とイギリス海軍が追跡に追跡を重ねてようやく捕捉したフランス艦隊を撃破する任務を与えられ、再び戦いへと舞い戻ります。
彼は出撃を望みつつもそれをエマに告げる勇気が出ずに悩んでいましたが、エマは彼の気持ちを見抜いて、彼を励まし送り出しました。
こうしてメイドさんパワーに後押しされて海上に舞い戻ったネルソンは10月、トラファルガーでフランス艦隊を壊滅させますが、戦いの中で狙撃され、義務を果たしたとの言葉を残して死亡することになりました。
つまり、メイドさんによって創り出された英雄は、メイドさんに癒され、メイドさんに惚れ、メイドさんに見守られることで英雄としての任務を全うしたのです。
さすがメイドの本場イギリスの英雄です。
ところで、ここまで書いてきて今更こんなこと言うのも何ですが、エマ・ハミルトンはネルソンのシラクサでの補給に貢献してなどいないとか、彼女がネルソンの最後の出撃を後押しした確たる証拠はないとの見方もあります。あと浪費癖のあるろくでもない人間だったとか。
元メイドなだけだし、浪費家だし、よくよく考えればネルソンの勝利を支えたのはメイドさんって言うことができるのか、いまいち微妙なんですが、まあ細かいことは気にしない方向で。
さらにもう一人、メイドがらみの偉人を紹介しましょう。
それはドイツの大文豪ゲーテ(1749~1832)です。
ゲーテは、先に紹介したメイド哲学者ショーペンハウアーの母ヨハナ・ショーペンハウアーのサロンに出入りしていたことがあるのですが、
その際、「彼はヨハナの女中のゾフィーとおしゃべりするのが好きで」(リュティガー・ザフランスキー『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』法政大学出版会 164頁)あったそうです。
というわけで、大文豪の蔭にもメイドあり。
参考資料
リュティガー・ザフランスキー著『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』山本尤訳 法政大学出版会
ロバート・サウジー著『大航海者の世界VII ネルソン提督伝』山本史郎訳 原書房
C.S.フォレスター著『ネルソン提督伝 “われ、本分を尽くせり”』高津幸枝訳 東洋書林
『世界の戦争7 ナポレオンの戦争』志垣嘉夫編 講談社
赤衣丸歩郎著『仮面のメイドガイ 8』 富士見書房
関連記事(2009年5月14日新設)
提督達の見たヘタリア ~イタリアは乞食、コソ泥、ごろつき、売女~
涼宮ハルヒの名将の憂鬱 前編
萌える大英帝国 セーラー服&メイド服成立史
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529065/
この発表の続編は当ブログ内(もっともっとメイドさんとキルケゴール 続・偉大なるダメ人間シリーズその1)
http://trushnote.exblog.jp/8194144/
引きこもりニート列伝その25 キルケゴール
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet25.html
西洋軍事史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14470857/
ネルソンについては
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「ナポレオン ネルソン 英仏代表天才軍人は、浪費癖あるクズ女に惚れた弱みで貢ぎに貢いだ英仏代表ヘボ男」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月26日加筆)
リンクを変更(2010年12月8日)
過去に世界を
変えた偉人たち──
王族や軍人、宗教家に
政治指導者……
伝承によれば
それらの偉人の偉業も
彼等を支えたメイドさんの奉仕の力があったればこそ
(赤衣丸歩郎『仮面のメイドガイ 8』富士見書房 151頁)
メイドガイ・コガラシにはホラ学説と切って捨てられ、アラシにはとても信じられないと言われてしまうこの珍説ですが、実はホラとも言い切れません。デカルト、ショーペンハウアー、キルケゴール、マルクス、アーレント、ポパーと哲学者がメイドさんと大変縁が深いことは、すでにここと本体サイトで紹介してきたわけですが、メイドさんのパワーに支えられていたのは哲学者だけではなかったりするのです。
というわけで、今日はメイドさんの奉仕の力に支えられた偉人を哲学者以外で紹介してみようと思います。
まずはネルソン提督(1758~1805)。イギリスの誇る偉大な海軍軍人です。
彼はナポリ駐在のイギリス外交官ハミルトンの夫人エマを熱愛して不倫関係に入り、にもかかわらずハミルトンにも信愛され、挙げ句に妻を放置してハミルトン夫妻と共同生活を送るようになります。しかも共同生活に入った直後には、エマとネルソンとの間に子供まで生まれたりしています。
ところで、ネルソンが愛情を注いだこのエマ・ハミルトンは、下働きのメイド上がりの人間でした。
ちなみに彼女は、単にネルソンの愛情を受けただけではありません。彼女は、ネルソンの偉大な戦勝に貢献していたりもするのです。
エマと恋に落ちる直前の1798年、ネルソンは、ナポレオンの率いるフランスのエジプト遠征軍の船団をエジプトのアブキール湾で壊滅させ、フランス軍の帰航と増援の途を断ち切ってナポレオンをエジプトに孤立させます。この大勝利はネルソンを一躍英雄へと押し上げるのですが、実はこの偉功はエマ・ハミルトンの力によって可能になったのだそうです。この戦いの前、一度、フランス船団の追跡に失敗したネルソンは、シチリア島のシラクサに入ったのですが、その地を支配するナポリ王国はフランスの敵意を買うことを恐れ、ネルソンの艦隊に援助を与えてくれませんでした。ところが外交官夫人であったエマが、ナポリ宮廷で王妃の信頼を得ていたため、その影響力によって宮廷はシチリア島総督へ秘密命令を出し、それによってネルソンはシラクサで必要な補給を確保することができたのだそうです。この補給のおかげでネルソンは遅れを出すことなく追跡を再開でき、フランス船団に追いついて大勝利を得ることになったわけですが、シラクサにおける補給がなければ、アブキール湾で戦端をひらくことすらおぼつかなかったと、ネルソンは常々語っていたそうです。
なお、この戦いの直後ネルソンは回復が絶望視されるほどの高熱に襲われますが、ナポリに立ち寄り、エマ・ハミルトンの看病に癒され、やがては恋に落ちといった次第。
ちなみにエマとネルソンは、例のメイド哲学者ショーペンハウアーとも無縁ではなく、ナポリで王国を援けて共和主義者の反乱を鎮圧するなどしていたネルソンが、ハミルトン夫妻とともにイギリスへと帰国することになった途上、ハンブルクにやってきた際には、彼等はショーペンハウアーの母で社交家であったヨハナ・ショーペンハウアーと会っています。
ハンブルクは共和主義の伝統と道徳の厳しさを誇る都市なのですが、英雄ネルソンの名声はあまりにも高く、ハンブルクは、フランス共和主義革命の最大の敵手にしてナポリにおける共和主義の弾圧者、おまけに不倫野郎の彼を大歓迎します。
提督は、ナポリ王家を共和主義の反乱から守るために、奸計を凝らし、残虐な手段を駆使してきた。共和主義者達の指導者には自由通行権が保証されていたにもかかわらず、ネルソン卿は彼らを縛り首にして、なんとそれを旗艦の帆桁に吊り下げたのであった。共和主義の伝統を誇りにしていたハンブルクのような町では歓迎されるはずもなかったことである。ハミルトン夫人にしても、デリケートな問題を抱えていた。かつては下働きの女中だったが美貌と聡明さを武器にイギリス上流貴族にのし上がり、イギリス公使ハミルトンの夫人となりながら同時にネルソン提督の妾であって、一年後には提督との間に女の子をもうけている。いつもは道徳的に厳しいハンブルクであるのに、今回はこれに不快の念を抱かなかった。イギリスの信用のほうがより重かったのである。ヨハナ・ショーペンハウアーも、日頃の共和主義への忠誠を忘れて、この高名な夫妻と会ったことを誇らしげに記録している。
(リュティガー・ザフランスキー『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』法政大学出版会 58頁)
メイドさんパワーで燦然と輝く英雄の威光には、イデオロギーや道徳の違いを超えて人を惹きつける力が備わっているというわけですよ。
その後1803年4月にハミルトンはエマの腕に抱かれ、ネルソンの手を握りながら、ネルソンにエマを託して死にました。そしてネルソンは、引退してのエマと暮らしを望むようになり、「「あの邪魔者」──ネルソンは妻のことをこう呼んだ──「は、神が嘉したまいて、きっと除かれようから、その時は何年も何年も幸せな歳月をともにし」」(ロバート・サウジー『大航海者の世界VII ネルソン提督伝』原書房 339頁)ようとエマに誓います。ですがネルソンのその望みはかないませんでした。
1803年5月から1805年8月まで、ネルソンはフランス艦隊の監視と追跡に忙殺されており、船を離れることはその間わずかに三度、いずれも一時間を超えていません。そして1805年8月に帰宅して、わずか一月の休養の後、ネルソンは、彼とイギリス海軍が追跡に追跡を重ねてようやく捕捉したフランス艦隊を撃破する任務を与えられ、再び戦いへと舞い戻ります。
彼は出撃を望みつつもそれをエマに告げる勇気が出ずに悩んでいましたが、エマは彼の気持ちを見抜いて、彼を励まし送り出しました。
「ネルソン」と、夫人は言う、「私たちはあなたのご不在を嘆きもしましょう、悲しみもしましょう。でも、国のためにお出になってください。きっとみんなは大喜びし、そしてあなたの心も静まるでしょう。きっと輝かしい大勝利を収めることになりましょう。そうなればここにもどってきて、幸せに暮らせましょう」。ネルソンは目に涙を浮かべて、レディ・ハミルトンを見つめた。──「勇敢なるエマよ!──善良なるエマよ!──この世にエマがもっと何人もいたなら、ネルソンももっとたくさん出てくることだろう」(同書 374頁)
こうしてメイドさんパワーに後押しされて海上に舞い戻ったネルソンは10月、トラファルガーでフランス艦隊を壊滅させますが、戦いの中で狙撃され、義務を果たしたとの言葉を残して死亡することになりました。
つまり、メイドさんによって創り出された英雄は、メイドさんに癒され、メイドさんに惚れ、メイドさんに見守られることで英雄としての任務を全うしたのです。
さすがメイドの本場イギリスの英雄です。
ところで、ここまで書いてきて今更こんなこと言うのも何ですが、エマ・ハミルトンはネルソンのシラクサでの補給に貢献してなどいないとか、彼女がネルソンの最後の出撃を後押しした確たる証拠はないとの見方もあります。あと浪費癖のあるろくでもない人間だったとか。
元メイドなだけだし、浪費家だし、よくよく考えればネルソンの勝利を支えたのはメイドさんって言うことができるのか、いまいち微妙なんですが、まあ細かいことは気にしない方向で。
さらにもう一人、メイドがらみの偉人を紹介しましょう。
それはドイツの大文豪ゲーテ(1749~1832)です。
ゲーテは、先に紹介したメイド哲学者ショーペンハウアーの母ヨハナ・ショーペンハウアーのサロンに出入りしていたことがあるのですが、
その際、「彼はヨハナの女中のゾフィーとおしゃべりするのが好きで」(リュティガー・ザフランスキー『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』法政大学出版会 164頁)あったそうです。
というわけで、大文豪の蔭にもメイドあり。
参考資料
リュティガー・ザフランスキー著『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』山本尤訳 法政大学出版会
ロバート・サウジー著『大航海者の世界VII ネルソン提督伝』山本史郎訳 原書房
C.S.フォレスター著『ネルソン提督伝 “われ、本分を尽くせり”』高津幸枝訳 東洋書林
『世界の戦争7 ナポレオンの戦争』志垣嘉夫編 講談社
赤衣丸歩郎著『仮面のメイドガイ 8』 富士見書房
関連記事(2009年5月14日新設)
提督達の見たヘタリア ~イタリアは乞食、コソ泥、ごろつき、売女~
涼宮ハルヒの名将の憂鬱 前編
萌える大英帝国 セーラー服&メイド服成立史
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529065/
この発表の続編は当ブログ内(もっともっとメイドさんとキルケゴール 続・偉大なるダメ人間シリーズその1)
http://trushnote.exblog.jp/8194144/
引きこもりニート列伝その25 キルケゴール
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet25.html
西洋軍事史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14470857/
ネルソンについては
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「ナポレオン ネルソン 英仏代表天才軍人は、浪費癖あるクズ女に惚れた弱みで貢ぎに貢いだ英仏代表ヘボ男」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月26日加筆)
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-05-08 20:02
| My(山田昌弘)








