2008年 05月 10日
自称「皇帝」の男たち
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何度目か分りませんが、また「仮面のメイドガイ」から。主人公である女子高生富士原なえかの通う高校で生徒会長を務めているのは小富士原ネロ秀なる人物で、なえかの親戚に当るのですが会長の権力を振りかざして好き放題をやっているようです。自身のダイエットのため売店から甘味を撤去したのはまあ良いとしても、メガネっ娘好きだからコンタクト禁止だとか自身の趣味で女子生徒のスカートを短くしろとか決めた他、美人生徒を徴発して生徒会秘書部を作ったり他の部活の予算を横領して生徒会室を大改造したり、というのは何をやってるんだかとしか言いようがありません。当然これに強く反発する生徒も少なからずおり、なえかを中心とする女子剣道部はその急先鋒。そこで、学園祭において女子剣道部及び女子運動部連合が生徒会と催し物において勝負し勝った方が要求を通す事になりました。その詳細については今回の主題と関係ありませんから割愛しますが、この際にネロ秀は、生徒会長とは「神に選ばれし学園の支配者」(「仮面のメイドガイ」第六巻P9)でありその勝負に勝った暁には「生徒皇帝」を名乗ると宣言しています。…何ともおバカっぷりや小物っぷりが良く現れた言動ですね。特に「生徒皇帝」というネーミングには小物ぶりが極まって突き抜けたような、ここまで来ると逆に惚れ惚れするような感じさえ受けます。しかし、実際の歴史においても本人が「皇帝」を自称したにもかかわらず実体との乖離などから後世においてネタとして語られる例は見られます。今回はそれについて語ろうかと思います。
中国の乱世において、反乱軍の長や盗賊の頭目が自ら皇帝を名乗る例はしばしばあります。彼等の殆どは勿論公認されていないわけですが、明の太祖のように実際に天下を取ってしまえば勝てば官軍なのは言うまでもありません。というわけで、そうした意味での自称「皇帝」については今回は扱いません。彼等は曲がりなりにも風雲を望んで立った群雄であり時に利あらず天運が与しなかっただけであるというべきでしょう。以下では、そういうのではなく、ネタとして扱われ時に失笑されすらする自称「皇帝」たちについて言及したいと思います。
まず、最初に一部では有名な「アメリカ合衆国皇帝」ことノートン1世について。ジョシュア・ノートンは父親から多額の財産を受け継ぎますが、投機に失敗して破産してしまいます。その後、彼は居住していたサンフランシスコで新聞社に自分が「アメリカ合衆国皇帝」であると宣言。彼の主張は面白がった新聞社や市民たちに受け入れられ、ノートンは「ノートン1世」と名乗って新聞上に数々の「勅命」を発布しました。…普通は姓ではなく名前に「○世」をつけるものなんですけどね。その「勅命」中にはアメリカ議会の解散を軍に命じるといった素っ頓狂なものもありましたが、一方でサンフランシスコとオークランドを結ぶ橋の建設を命じたり人種などによる対立を禁じたりといった先見の明や理想主義を見出せるものもあったようです。「皇帝」は「臣民」から贈られた軍服を着て街中を散歩し「視察」するのを日課としており、そうした中で思うところを「勅命」として新聞紙上で述べたりしていたとか。また、彼は貧しい生活を送っていましたが鉄道会社や劇場などは彼のために特別席を用意して無料で歓待し、「臣民」たちも敬愛する「皇帝」が発行する小額の「国債」を進んで購入してその生活を助けたといわれています。…流石はアメリカ人、変な所でノリが良いですね。
彼の場合は、その実体のない「皇帝」宣言をネタとして楽しみつつも、実害のないこの男を「愛すべき人物」として暖かく支えていた訳であり、今回の趣旨には余りそぐわなかったかもしれません。1880年にノートンが亡くなった際には多くの人々が彼の死を悼み、当時の新聞は「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。」とその生涯を称えたそうです。正に「臣民」を愛し「臣民」から愛された彼に相応しい最大級の賛辞であるといえるでしょう。
しかし、自称「皇帝」はこうした微笑ましい存在ばかりではありません。外部から見れば滑稽で、支配下の人間にしてみれば迷惑極まりない悲惨な事例も見受けられるのです。
北アフリカにある「中央アフリカ」という国をご存知でしょうか。アフリカの国々には、独立後も民族間の争いが絡んでの紛争や軍人による独裁・腐敗政治があとを絶たない例が多数見られますが、この国もご多分にもれませんでした。中央アフリカは嘗てフランス領であり、ウバンギ・シャリと呼ばれました。この地域を支配するにあたりフランスはムバカ人を利用したため、ムバカ人は人口の5%程度であったにもかかわらず社会的実力がありました。事実、自治領「中央アフリカ」となった際の初代首相バルテルミ・ボガンダ、独立後に初代大統領となったダビッド・ダッコ、そして今回扱うジャン・ベデル・ボカサはいずれもムバカ人だったのです。
ボカサは十八歳でフランス軍に参加し、アフリカを始め欧州・インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)で転戦して十五個の勲章を与えられる勇戦ぶりを見せ大尉に昇進。1958年に中央アフリカが自治領となった際に帰国し軍を組織しました。ボカサにとってボガンダ首相は叔父にあたりましたから、彼自身の戦歴に加えそうした縁故も軍要人として経歴を始める上で大きかったようです。1966年には軍権を利用してクーデターを起こし、従弟にあたるダッコ大統領を追放。72年には自ら終身大統領、74年に軍元帥となって権勢を強めると共に次々に政敵を排除し十六省庁のうち十四の大臣を兼務するにいたります。そして自らの政党「黒人アフリカ社会進歩運動(MESAN)」一党独裁体制を確立し自らの神格化を進め、国民に「パパ・ボック」と呼ばせたのです。ここまでならよくある独裁者の典型例として終わるのですが、それで済まないのがボカサのボカサたる所以でした。
76年、彼は遂に「中央アフリカ帝国」の成立を宣言し皇帝「ボカサ1世」を名乗ります。更に翌77年12月4日、首都バンギで壮大な戴冠式を挙行。ボカサは六等の白馬に引かせた六トンの馬車に乗り「ルネサンス宮殿」(旧大統領官邸)を出、次いで軍楽隊・歩兵一個中隊が先導し二歳のジャン・ベデル・ジョルジュ皇太子の馬車が続きました。行列はバンギ・スタジアムに入り、「皇帝」はダイヤをちりばめた二メートルの大錫杖を受け取り長さ六メートルの赤いビロードや白い毛皮の外套を身に纏いナポレオンの例に倣い自ら冠を頭にかぶせました。なお、この冠には最大三十八カラットのダイヤを始め二千個の宝石があしらわれていたとされています。この戴冠式で費やされた金額は国家予算の二倍に相当する二千五百万ドル(三億円)であったそうです。因みに当時の中央アフリカ国民一人当たりの年間所得は百五十五ドルで最貧国の一つでした。したがって、この挙を目の当たりにしたアメリカが呆れて経済援助を中止したのも当然といえるでしょうし、世界各国は失笑と共にこの「帝国」を見ていたようです。しかしボカサはそんな事はお構いなしで、「帝国憲法」「皇帝儀式典範」を制定し自らの血統により帝位が継承される事と定め、「臣民」は六歩離れたところから「皇帝」に会釈するよう強制。そして首都から離れたベレンゴ宮でカテリーヌ皇后ら数人の夫人や二十人以上の子と共に暮らし、エルメスが装飾した専用機三台・愛馬三十五頭という贅沢三昧の生活をしていました。因みにボカサは正式に結婚した相手は十七人におよび、生涯で儲けた子は五十五人以上だったそうです。
一方、彼の「帝国」は粛清の繰り返しもあって極度の人材不足に陥っていました。官僚はボカサに媚びる事のみを考え行政は停滞し、主要輸出品である綿花の生産も独立前の水準を下回っていました。また、ダイヤ原石の生産も低下の一途をたどっていたのです。おまけに「皇帝」はその「臣民」を全く信用しておらず、皇帝親衛隊はムバカ人と隣国ザイール人傭兵から編成される状況。彼は信愛し敬愛されるべき「臣民」を持たぬ存在であったようです。加えて、ボカサ自身も粗暴で大統領時代の73年に自ら刑務所の囚人を撲殺したりしており、後述するように「皇帝」を名乗ってからも相変わらずでした。更に真偽は不明ですが、政敵を刑務所で太らせてから処刑して食べ友人にも振舞ったという類の証言が複数存在するようです。例えば「皇帝」の公認会計士は主君からご馳走になっている途中に「君は人間は好きかね?一番おいしくて一番食欲がわくのはその肉だね、とくに敵の肉の場合はね!」と声をかけられたとか。
こうした体たらくから前述のようにアメリカが援助を打ち切るなど国際的孤立に陥る中で、旧宗主国フランスは「民間協力援助」を継続していました。フランスは中央アフリカ国内のウラン鉱山に膨大な投資をしており、それを回収するためにも手を引けない状況だったのです。また、ボカサは孤立を打開するためにリビアや東欧に接近を図り、特にリビアから経済援助を引き出すためイスラームに改宗しムスリム風の名に改名しています。「皇帝」ともあろうものが金のためなら誇りも節操もなく他国に尻尾を振っていたわけですね。
この張子の虎の「帝国」の終焉は早く訪れました。79年1月、首都の小中学生に制服を強制したのがきっかけで人々の不満が爆発、大規模な反対運動が起こったのです。問題の制服は「皇帝」所有の工場で作られ「皇后」経営の小売店で販売された一着百フラン(因みにこの国の平均月収は二百フラン)という高額なもので、ボカサ一族が私腹を肥やすためのものである事は明白でした。これに対し抗議したデモに対し、「皇帝」は容赦なく逮捕・殺害を命じ小中学生を含め多数を投獄。更に自らこの子供たちを杖で打ちのめし親衛隊に命じて百人以上を虐殺したとされています。
この蛮行を契機にしてボカサは本格的に国際的非難に晒され、フランスもついに彼を見放すに至ります。9月、「皇帝」はこの局面を打開すべく援助を求めてリビアを訪問。フランスはこれを好機として9月20日に前大統領ダッコを擁立した無血クーデターを起こさせ「帝国」を崩壊させます。帰る国を失ったボカサは、クーデターの黒幕とも知らずフランスに亡命を図りますが拒否され、コートジボアールに逃れたのです。このように最初から最後まで専ら失笑・嘲笑か憎悪の眼で見られてきた「帝国」は歴史上で珍しいのではないでしょうか。曲がりなりにも一国の主だったにもかかわらず、冒頭の「生徒皇帝」をも凌ぐカッコ悪さを見せた「ボカサ1世」はある意味天晴れなのかもしれません。
「自分の帝国を作る」「皇帝になる」、これらは一種の「男の浪漫」である事は否定できないのかもしれません。しかし、自他共に認める帝王となるには、強大な権力だけではいけません。血統など歴史的伝統を背景にしているか、自身が英雄的な業績を挙げるかしなければ滑稽なだけでしょう。
ノートンが権力も何も持たず「皇帝」を名乗ったのは滑稽ではありましたが、害もなく無邪気な彼は人々にとって愛すべき「象徴」でした。多くの人々に愛されその死を悼まれた彼は、実際には一貧民に過ぎなかったとはいえ「皇帝」に求められる何らかの「資格」は持ち合わせていたように思います。一方、ボカサは強大な権力を握ったとはいえ国家を食い物にして私腹を肥やすばかりであり、国家や国民へ寄与する事はありませんでした。同時代から現代までただ嘲笑され失笑されたボカサに対しては、その権勢とは裏腹に「皇帝」として顕彰すべき何物も人々は認めていないといえるでしょう。
以上から考えると、「皇帝」、それは権力者の権勢欲を満たすためだけの称号ではなくその国家を輝かせた英雄への賛辞であったり国家統合のため求められる権威だったりと社会的な要請があって初めて認められるものだといえます。…はてさて、「生徒皇帝」にはそうした要請があるんでしょうかねえ。
【参考文献】
苦悶するアフリカ 篠田豊 岩波新書
世界伝記大辞典10 ほるぷ出版
アフリカ現代史3 小田英郎著 山川出版社
図説世界文化地理大百科アフリカ 日野舜也監訳 朝倉書店
図説食人全書 マルタン・モネスティエ著 大塚宏子訳 原書房
アメリカ皇帝になった男の話 佐山和夫 潮出版社
中国の大盗賊 高島俊夫 講談社現代新書
仮面のメイドガイ 赤衣丸歩郎 角川書店
関連記事(2009年5月14日新設)
19世紀ヨーロッパのプロ市民 ~自分たちの存在意義を守るため奴隷制を推奨した反奴隷制団体の話~
覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~
超三大陸周遊記 ~アトランティス、ムー、レムリアのお話~
関連サイト:
「信玄の野望」(http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/9179/)より
「米国皇帝」(http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2816/flash/norton.html)
ノートン1世について述べたFLASHです。
「ステ奇人の世界」(http://www.geocities.jp/suteki_jin/index.html)より
「ノートン1世」(http://www.geocities.jp/suteki_jin/norton1.html)
「元老院議員私設資料展示館」(http://www.kaho.biz/index.html)より
「中央アフリカの皇帝…ボカサ小伝…」(http://www.kaho.biz/bokassa.html)
「黒猫の巣」(http://powerpopisland.blog68.fc2.com/)より
「【世界の香ばしき国々】第15回:中央アフリカ(Part2)―世界中の笑いものになった皇帝ボカサ1世―」(http://powerpopisland.blog68.fc2.com/blog-entry-58.html)
「Reichsarchiv~世界帝王事典~」(http://nekhet.ddo.jp/)
世界の王室について扱ったページです。ノートン1世は掲載されていますが、ボカサ1世はいません。
中国の乱世において、反乱軍の長や盗賊の頭目が自ら皇帝を名乗る例はしばしばあります。彼等の殆どは勿論公認されていないわけですが、明の太祖のように実際に天下を取ってしまえば勝てば官軍なのは言うまでもありません。というわけで、そうした意味での自称「皇帝」については今回は扱いません。彼等は曲がりなりにも風雲を望んで立った群雄であり時に利あらず天運が与しなかっただけであるというべきでしょう。以下では、そういうのではなく、ネタとして扱われ時に失笑されすらする自称「皇帝」たちについて言及したいと思います。
まず、最初に一部では有名な「アメリカ合衆国皇帝」ことノートン1世について。ジョシュア・ノートンは父親から多額の財産を受け継ぎますが、投機に失敗して破産してしまいます。その後、彼は居住していたサンフランシスコで新聞社に自分が「アメリカ合衆国皇帝」であると宣言。彼の主張は面白がった新聞社や市民たちに受け入れられ、ノートンは「ノートン1世」と名乗って新聞上に数々の「勅命」を発布しました。…普通は姓ではなく名前に「○世」をつけるものなんですけどね。その「勅命」中にはアメリカ議会の解散を軍に命じるといった素っ頓狂なものもありましたが、一方でサンフランシスコとオークランドを結ぶ橋の建設を命じたり人種などによる対立を禁じたりといった先見の明や理想主義を見出せるものもあったようです。「皇帝」は「臣民」から贈られた軍服を着て街中を散歩し「視察」するのを日課としており、そうした中で思うところを「勅命」として新聞紙上で述べたりしていたとか。また、彼は貧しい生活を送っていましたが鉄道会社や劇場などは彼のために特別席を用意して無料で歓待し、「臣民」たちも敬愛する「皇帝」が発行する小額の「国債」を進んで購入してその生活を助けたといわれています。…流石はアメリカ人、変な所でノリが良いですね。
彼の場合は、その実体のない「皇帝」宣言をネタとして楽しみつつも、実害のないこの男を「愛すべき人物」として暖かく支えていた訳であり、今回の趣旨には余りそぐわなかったかもしれません。1880年にノートンが亡くなった際には多くの人々が彼の死を悼み、当時の新聞は「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。」とその生涯を称えたそうです。正に「臣民」を愛し「臣民」から愛された彼に相応しい最大級の賛辞であるといえるでしょう。
しかし、自称「皇帝」はこうした微笑ましい存在ばかりではありません。外部から見れば滑稽で、支配下の人間にしてみれば迷惑極まりない悲惨な事例も見受けられるのです。
北アフリカにある「中央アフリカ」という国をご存知でしょうか。アフリカの国々には、独立後も民族間の争いが絡んでの紛争や軍人による独裁・腐敗政治があとを絶たない例が多数見られますが、この国もご多分にもれませんでした。中央アフリカは嘗てフランス領であり、ウバンギ・シャリと呼ばれました。この地域を支配するにあたりフランスはムバカ人を利用したため、ムバカ人は人口の5%程度であったにもかかわらず社会的実力がありました。事実、自治領「中央アフリカ」となった際の初代首相バルテルミ・ボガンダ、独立後に初代大統領となったダビッド・ダッコ、そして今回扱うジャン・ベデル・ボカサはいずれもムバカ人だったのです。
ボカサは十八歳でフランス軍に参加し、アフリカを始め欧州・インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)で転戦して十五個の勲章を与えられる勇戦ぶりを見せ大尉に昇進。1958年に中央アフリカが自治領となった際に帰国し軍を組織しました。ボカサにとってボガンダ首相は叔父にあたりましたから、彼自身の戦歴に加えそうした縁故も軍要人として経歴を始める上で大きかったようです。1966年には軍権を利用してクーデターを起こし、従弟にあたるダッコ大統領を追放。72年には自ら終身大統領、74年に軍元帥となって権勢を強めると共に次々に政敵を排除し十六省庁のうち十四の大臣を兼務するにいたります。そして自らの政党「黒人アフリカ社会進歩運動(MESAN)」一党独裁体制を確立し自らの神格化を進め、国民に「パパ・ボック」と呼ばせたのです。ここまでならよくある独裁者の典型例として終わるのですが、それで済まないのがボカサのボカサたる所以でした。
76年、彼は遂に「中央アフリカ帝国」の成立を宣言し皇帝「ボカサ1世」を名乗ります。更に翌77年12月4日、首都バンギで壮大な戴冠式を挙行。ボカサは六等の白馬に引かせた六トンの馬車に乗り「ルネサンス宮殿」(旧大統領官邸)を出、次いで軍楽隊・歩兵一個中隊が先導し二歳のジャン・ベデル・ジョルジュ皇太子の馬車が続きました。行列はバンギ・スタジアムに入り、「皇帝」はダイヤをちりばめた二メートルの大錫杖を受け取り長さ六メートルの赤いビロードや白い毛皮の外套を身に纏いナポレオンの例に倣い自ら冠を頭にかぶせました。なお、この冠には最大三十八カラットのダイヤを始め二千個の宝石があしらわれていたとされています。この戴冠式で費やされた金額は国家予算の二倍に相当する二千五百万ドル(三億円)であったそうです。因みに当時の中央アフリカ国民一人当たりの年間所得は百五十五ドルで最貧国の一つでした。したがって、この挙を目の当たりにしたアメリカが呆れて経済援助を中止したのも当然といえるでしょうし、世界各国は失笑と共にこの「帝国」を見ていたようです。しかしボカサはそんな事はお構いなしで、「帝国憲法」「皇帝儀式典範」を制定し自らの血統により帝位が継承される事と定め、「臣民」は六歩離れたところから「皇帝」に会釈するよう強制。そして首都から離れたベレンゴ宮でカテリーヌ皇后ら数人の夫人や二十人以上の子と共に暮らし、エルメスが装飾した専用機三台・愛馬三十五頭という贅沢三昧の生活をしていました。因みにボカサは正式に結婚した相手は十七人におよび、生涯で儲けた子は五十五人以上だったそうです。
一方、彼の「帝国」は粛清の繰り返しもあって極度の人材不足に陥っていました。官僚はボカサに媚びる事のみを考え行政は停滞し、主要輸出品である綿花の生産も独立前の水準を下回っていました。また、ダイヤ原石の生産も低下の一途をたどっていたのです。おまけに「皇帝」はその「臣民」を全く信用しておらず、皇帝親衛隊はムバカ人と隣国ザイール人傭兵から編成される状況。彼は信愛し敬愛されるべき「臣民」を持たぬ存在であったようです。加えて、ボカサ自身も粗暴で大統領時代の73年に自ら刑務所の囚人を撲殺したりしており、後述するように「皇帝」を名乗ってからも相変わらずでした。更に真偽は不明ですが、政敵を刑務所で太らせてから処刑して食べ友人にも振舞ったという類の証言が複数存在するようです。例えば「皇帝」の公認会計士は主君からご馳走になっている途中に「君は人間は好きかね?一番おいしくて一番食欲がわくのはその肉だね、とくに敵の肉の場合はね!」と声をかけられたとか。
こうした体たらくから前述のようにアメリカが援助を打ち切るなど国際的孤立に陥る中で、旧宗主国フランスは「民間協力援助」を継続していました。フランスは中央アフリカ国内のウラン鉱山に膨大な投資をしており、それを回収するためにも手を引けない状況だったのです。また、ボカサは孤立を打開するためにリビアや東欧に接近を図り、特にリビアから経済援助を引き出すためイスラームに改宗しムスリム風の名に改名しています。「皇帝」ともあろうものが金のためなら誇りも節操もなく他国に尻尾を振っていたわけですね。
この張子の虎の「帝国」の終焉は早く訪れました。79年1月、首都の小中学生に制服を強制したのがきっかけで人々の不満が爆発、大規模な反対運動が起こったのです。問題の制服は「皇帝」所有の工場で作られ「皇后」経営の小売店で販売された一着百フラン(因みにこの国の平均月収は二百フラン)という高額なもので、ボカサ一族が私腹を肥やすためのものである事は明白でした。これに対し抗議したデモに対し、「皇帝」は容赦なく逮捕・殺害を命じ小中学生を含め多数を投獄。更に自らこの子供たちを杖で打ちのめし親衛隊に命じて百人以上を虐殺したとされています。
この蛮行を契機にしてボカサは本格的に国際的非難に晒され、フランスもついに彼を見放すに至ります。9月、「皇帝」はこの局面を打開すべく援助を求めてリビアを訪問。フランスはこれを好機として9月20日に前大統領ダッコを擁立した無血クーデターを起こさせ「帝国」を崩壊させます。帰る国を失ったボカサは、クーデターの黒幕とも知らずフランスに亡命を図りますが拒否され、コートジボアールに逃れたのです。このように最初から最後まで専ら失笑・嘲笑か憎悪の眼で見られてきた「帝国」は歴史上で珍しいのではないでしょうか。曲がりなりにも一国の主だったにもかかわらず、冒頭の「生徒皇帝」をも凌ぐカッコ悪さを見せた「ボカサ1世」はある意味天晴れなのかもしれません。
「自分の帝国を作る」「皇帝になる」、これらは一種の「男の浪漫」である事は否定できないのかもしれません。しかし、自他共に認める帝王となるには、強大な権力だけではいけません。血統など歴史的伝統を背景にしているか、自身が英雄的な業績を挙げるかしなければ滑稽なだけでしょう。
ノートンが権力も何も持たず「皇帝」を名乗ったのは滑稽ではありましたが、害もなく無邪気な彼は人々にとって愛すべき「象徴」でした。多くの人々に愛されその死を悼まれた彼は、実際には一貧民に過ぎなかったとはいえ「皇帝」に求められる何らかの「資格」は持ち合わせていたように思います。一方、ボカサは強大な権力を握ったとはいえ国家を食い物にして私腹を肥やすばかりであり、国家や国民へ寄与する事はありませんでした。同時代から現代までただ嘲笑され失笑されたボカサに対しては、その権勢とは裏腹に「皇帝」として顕彰すべき何物も人々は認めていないといえるでしょう。
以上から考えると、「皇帝」、それは権力者の権勢欲を満たすためだけの称号ではなくその国家を輝かせた英雄への賛辞であったり国家統合のため求められる権威だったりと社会的な要請があって初めて認められるものだといえます。…はてさて、「生徒皇帝」にはそうした要請があるんでしょうかねえ。
【参考文献】
苦悶するアフリカ 篠田豊 岩波新書
世界伝記大辞典10 ほるぷ出版
アフリカ現代史3 小田英郎著 山川出版社
図説世界文化地理大百科アフリカ 日野舜也監訳 朝倉書店
図説食人全書 マルタン・モネスティエ著 大塚宏子訳 原書房
アメリカ皇帝になった男の話 佐山和夫 潮出版社
中国の大盗賊 高島俊夫 講談社現代新書
仮面のメイドガイ 赤衣丸歩郎 角川書店
関連記事(2009年5月14日新設)
19世紀ヨーロッパのプロ市民 ~自分たちの存在意義を守るため奴隷制を推奨した反奴隷制団体の話~
覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~
超三大陸周遊記 ~アトランティス、ムー、レムリアのお話~
関連サイト:
「信玄の野望」(http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/9179/)より
「米国皇帝」(http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2816/flash/norton.html)
ノートン1世について述べたFLASHです。
「ステ奇人の世界」(http://www.geocities.jp/suteki_jin/index.html)より
「ノートン1世」(http://www.geocities.jp/suteki_jin/norton1.html)
「元老院議員私設資料展示館」(http://www.kaho.biz/index.html)より
「中央アフリカの皇帝…ボカサ小伝…」(http://www.kaho.biz/bokassa.html)
「黒猫の巣」(http://powerpopisland.blog68.fc2.com/)より
「【世界の香ばしき国々】第15回:中央アフリカ(Part2)―世界中の笑いものになった皇帝ボカサ1世―」(http://powerpopisland.blog68.fc2.com/blog-entry-58.html)
「Reichsarchiv~世界帝王事典~」(http://nekhet.ddo.jp/)
世界の王室について扱ったページです。ノートン1世は掲載されていますが、ボカサ1世はいません。
by trushbasket
| 2008-05-10 18:35
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