「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち
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楠木正成は近代においてナショナリズムを盛り上げるため国家により顕彰された英雄です。そして、日本以外にも同様に国家によって持ち上げられた英雄がいました。
その中でも、「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクの人気は高いようですね。フランスのナショナリズム盛んな時期にはナポレオンやペタン元帥、ド・ゴールが自らをジャンヌになぞらえたとか言われています。そしてフランス国内にとどまらず、アメリカを始めとする海外でも映画の題材にされており我が国でも漫画や小説で扱われています。更に、大谷暢順氏は「ジャンヌ・ダルクと蓮如」という著作をものし、更にそれだけでは飽き足らず漫画家・安彦良和氏にジャンヌ関連の作品を描くよう依頼したりしているようです。浄土真宗大谷派門主である大谷氏のような異国・異教の重要人物までが彼女に強烈に萌え、もとい心惹かれているところを見ると、「鎧を纏って一途に戦う乙女」というのはやはり魅力的なんでしょうか。
さて、このように大変な人気者であるジャンヌですが、楠木正成と彼女には「民族英雄」というだけでない共通項があったりします。
まず、正成の「太平記」における姿を簡単におさらいしましょう。鎌倉幕府打倒の計画を進めていた後醍醐天皇ですが、それが露見して御所を脱出。笠置山で挙兵するものの有力な味方が望めない状況でした。そんな中、後醍醐は童子二人に南の巨木に設けられた玉座に案内される夢を見ます。童子は日光・月光菩薩であり木に南と書いて「楠」であると夢解きがなされ、河内に楠木正成という戦上手がいると聞かされたこともあり正成が勅使により呼び出されたのです。この時に笠置に参上した正成は、「正成がいる限りは御運は開けると御思いください」と頼もしい言葉を発して天皇を喜ばせています。その後の正成の活躍については御存知の方も多いでしょう。赤坂城で準備不足だったにもかかわらず幕府軍を苦戦させた後に脱出し、大阪平野各地で神出鬼没に暴れた末に天王寺で六波羅軍を翻弄。威信に掛けて楠木を潰さざるを得なくなった幕府が大軍を派遣すると千早城に篭城してこれを苦しめ、各地の反幕派による挙兵を促し、倒幕への流れを作り上げています。こうして巨大な戦功を上げ、後醍醐による新政府では大阪平野の権限と政府役職を与えられ厚い信任を受けました。しかし、政府が強い反発を受け足利尊氏による反乱が勢いを得ると、正成はその進言を受け入れられることなく敗色濃厚な戦いへ趣く事を余儀なくされ摂津湊川で足利の大軍を相手に討ち死にしました。
次に、ジャンヌの歴史の表舞台での特徴を検討して見る事にします。
①危機的状況にある王者の前に、神秘的な背景を負って切り札として登場する。
天使からフランスを救うようお告げを受けたと称して現れたジャンヌは、その力を試すため設けられた王太子の替え玉を見抜き、本物の王太子に彼しか知らないはずの秘密をささやいたといわれています。
②圧倒的劣勢にある味方の拠点を守り抜き戦局を変えることに成功。
イングランド側に包囲されていたオルレアンを解放し、勢いを取り戻した王太子は戴冠式を挙げる事が出来ました。
③王者から篤い感謝と信任を受けたかに思われた。
④最後は王者から見捨てられるようにして敵の手にかかる。
次第に宮廷でジャンヌは孤立するようになり、敵に捉えられた後もイングランドと講和を考えていたこともあり王はジャンヌをこの機会に切り捨てて見殺しにしたといわれています。
⑤しばらくは「魔女」として弾劾されるが後に名誉回復。近代には国民的英雄に。
①から④までは正成にも共通していることは、上述した内容からお分かりいただけるかと思います。そして⑤についてですが、正成ら楠木氏も南北朝の動乱が終結すると勝利した足利方によって「朝敵」として扱われていましたが戦国末期に楠木正虎の申請により赦免され、以降は代表的な忠臣として英雄視される事になります。正成とジャンヌ、この二人は宗教的・神秘的な背景をもっていた点を含め多くの共通点を持っていたわけですね。
そしてジャンヌの活躍した百年戦争は、王家の分裂によって起こったものであること、商業勢力・貨幣経済の発達に伴い歩兵・傭兵が台頭した時代であったこと、ナショナリズムの萌芽が見られた時代であったことなど我が国の南北朝と共通した性格が強いといえます。類似した時代背景が、類似した性格を持つ英雄を生んだといえるのかもしれません。
ところで、正成は城塞戦・ゲリラ戦を駆使して敵を翻弄した優秀な戦術家でもありました。また、野伏などを雇い入れて軍勢に組み入れるという傭兵隊長的な性格も見られています。その点を考慮すると、ジャンヌだけを正成と類似したフランスの英雄とするのにはためらわれるものがあります。他にも誰かいないものでしょうか。もし可能なら、上述の理由のため百年戦争時代から候補者を選びたいものです。という訳で、百年戦争の英雄から正成と類似した英雄をもう一人探してみることにしましょう。
百年戦争前半の十四世紀、フランス軍にベルトラン・デュ・ゲクランという武将がいました。彼は下級騎士階層出身で、主にシャルル5世に仕えてノルマンディーやロワール川・セーヌ川周辺の司令官を経てフランス軍司令官となりイベリア半島など各地で転戦しイングランドのエドワード黒太子らと戦って、押されていたフランス軍の勢いを盛り返した名将です。彼の活躍により、フランスはイングランドによって奪われていた領土の大半を一旦奪回したといわれています。また、彼は傭兵を率いて、決戦を避け夜襲・奇襲・兵糧攻めやゲリラ戦によって敵を翻弄するという戦術をしばしば取っていたようです。傭兵隊長的性格が強いにもかかわらず、後世の傭兵隊長のように報酬により陣営を変える訳ではなく君主への忠誠を貫いているのも特筆されます。というわけで、傭兵隊長的性格が強くそれでいて忠義の臣、ゲリラ戦を得意とした下層階級出身の名将、という観点からデュ・ゲクランもまた正成と類似した英雄といってよいでしょう。
「神秘的伝説を伴って登場した正体不明の民俗英雄」ジャンヌ、そして「傭兵を率いてゲリラ戦に長じた忠義の名将」デュ・ゲクラン。以上、この二人をフランス史における正成と共通点が多い「英雄」という事で結論とさせてもらいます。
【参考文献】
楠木正成 植村清二 中公文庫
楠氏研究 藤田精一 廣島積善館
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
ジャンヌ・ダルク 村松剛 中公新書
ジャンヌ・ダルク ジュール・ミシュレ 森井真・田代葆訳 中公文庫
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
文庫クセジュ百年戦争 フィリップ・コンタミーヌ著 坂巻昭二訳 白水社
英仏百年戦争 佐藤賢一 集英社新書
双頭の鷲(上)(下) 佐藤賢一 新潮文庫
ジャンヌ・ダルクと蓮如 大谷暢順 岩波新書
ジャンヌ 安彦良和 NHK出版
関連記事(2009年5月14日新設)
「南朝五忠臣」
「遠祖は正成」―庶民から見た楠木氏―
Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)について補足
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/minzoku.html)
以外には…
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「千早攻防戦-日本初の本格的城塞戦-」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020426c.html)
「フランス史概説」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050204.html)
正成と同時代の人物は、
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
関連サイト:
「Masa'S Weblog」(http://masasheavy.dip.jp/blog/)より
「漫画 『ジャンヌ』 安彦良和/大谷暢順」
(http://masasheavy.dip.jp/blog/item/412)
漫画「ジャンヌ」に関する書評です。
リンクを変更(2010年12月8日)