孔子との関わりから本居宣長を見る―そしてキモオタ伝説がまた一ページ―
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医師になるため京に遊学していた時代、儒学よりも歌の勉強にかまけていた宣長に学友が非難を寄せた事がありました。その際、宣長は儒学は政治に携わるエリートの学問であり自分はそうではないから儒学を学ぶ意義はなく人間らしい自然な情こそが最も重要だと返答しており、後の片鱗を既に見せているわけですが、この際に彼が引き合いに出しているのがほかならぬ孔子の言葉でした。すなわち、孔子が弟子たちに最大の望みは何かを尋ねた際に、政治的成果を挙げる事を述べた子路たちでなく「川浴びをし、風に吹かれ歌いながら帰りたい」と述べた曾皙に共感した話を肯定的に引用しているのです。まだ国学を本格的にはじめる前の話ですから国学者宣長の孔子観を考える上では必ずしも適切ではないかもしれませんが、少なくとも若い時点では孔子自身に対しては一人の人間として敬意を持ってみているといえるでしょう。
こうした感情は国学者として日本古来の「道」を追及するようになった後も存在したようで、
聖人と人はいへども聖人のたぐひなるめや孔子はよき人
といった歌を後世に残しているのです。社会を支える道徳としての儒教を嫌いはしたものの人間としての孔子に対しては敬愛していたといってよいでしょう。宣長の跡を継いだ養子・本居大平が宣長が影響を受けた人物を挙げた「恩頼図」の中に孔子の名も入れている事からもそれは知られます。
これに留まらず、自説を唱える上で孔子を引き合いに出した事すらあります。例えば、歌・物語は政道のためのものでも道徳のためのものでもなく、「もののあはれ」すなわち人間としての自然な情を表現するためのものであると唱えているのですが、その際に孔子が「詩経」を経典として加えたのもそうした情を知るためであると述べているのです。
以上のように、宣長が敵視したのは儒教の体制道徳としての偽善性であり、孔子その人に対しては共感・敬愛を惜しまなかったといえます。これについては、単なる儒教嫌い・排外主義者として片付けられない柔軟性を持ち合わせていたと評価すべきでしょうね。国粋主義的性格が強かったのは否定できない事実ですが。
ところで、宣長によると、上記のような儒教・仏教の道徳では縛りきれない人間の自然な情を描き出したものとして至高の存在といえるのが「源氏物語」なんだそうで、それを主張する上でもやっぱり孔子を引き合いに出してます。…それは良いのですが、内容を考えるとちょっと凄い台詞だったりします。
孔子もし是を見給はば、三百篇詩をさしをきて、必此物語を、六経につらね給ふべし、孔子の心をしれらん儒者は、必まろが言を過称とはえいはじ
(「紫文要領」 「本居宣長全集」第四巻P107)
現代語訳すると、孔子がもし源氏物語を御覧になっていたなら、必ず詩経ではなくこの源氏物語を六経に入れていたに違いない、孔子の心が分かる儒者であれば、決して私のこの言葉を無茶だとはいえないだろう、という意味です。因みに六経というのは儒教で最も重んじられた経典で、「書経」「詩経」「易経」「礼記」「春秋」(いわゆる「五経」)に「楽経」を加えたものなんだそうです。…それにしても、孔子の心中を推定するのはともかく勝手に断言しちゃって良いんですか、宣長先生。ともかく、この台詞を短く要約すると「源氏物語は聖典」という事ですね。
さて、「源氏物語」は足利時代においては道徳的な教訓として解釈されたりもしましたが、宣長の時代には契沖や賀茂真淵らによって「源氏」が道徳とは関係ない娯楽読物である事が再発見されつつありました(それに伴い淫猥の書という評価も出ています)。そして、宣長は娯楽として「源氏物語」に耽溺し主人公・光源氏とヒロインの一人である六条御息所のなれそめを描いた同人小説の執筆に手を染めるに至っています。つまり、宣長は賛否両論ある娯楽作品に入れあげた挙句、それを儒教で最重要視される経典以上に尊いと言うに至ったわけですね。まあ、大好きな娯楽作品を色々と理屈を捏ねて褒め称え高めようとするのは誰でもすることですからそれはよいとしましょう。しかし、一般社会で重んじられる教典を引き合いに出して「聖典」呼ばわりするのは流石にどう考えてもやりすぎです。こういった背景を考えに入れた上で改めて「源氏物語は聖典」という趣旨の発言を見直すと、「CLANNADは人生」とか「Fateは文学」といった台詞と比べても見劣りしないインパクト。
考えてみれば、宣長先生は三十路を越えてからも恋愛小説に熱中してその二次創作に手を出したに留まらず、その小説風の文章を書いたら作者の霊が感激して御礼を言いにきたとか、腹違いの兄妹(姉弟)間の婚姻は神が定めた真の道の一部なのに大陸の偽善に満ちた道徳が入ってきて自然な情が禁じられたのだ、とかいった香ばしい発言をするようなお人でした。当初の話題からは脱線しましたが、彼のキモオタ伝説に新たな一ページが加わったところで今回は筆をおかせていただきます。キルケゴールも大概キモオタらしいのですが、宣長も我が国におけるキモオタにとっての希望の星じゃないでしょうか。二人とも現代においてもっと評価されても良いような気がします。
【参考文献】
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
宣長と篤胤の世界 子安宣邦著 中公叢書
本居宣長全集第四巻 筑摩書房
人物叢書新装版本居宣長 城福勇 吉川弘文館
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「本居宣長」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529117/)
「本居宣長『手枕』」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tamakura.html)
参考:
本居宣長ダメ人間伝説
「偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』おまけ」
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』補足再び」
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』またまた補足―本居宣長・青年期の挫折―」
キモオタなだけじゃなく、対人能力に問題を抱えた上にマザコンだったりもします。
キルケゴールキモオタ伝説
「偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール」(当ブログ内に移転しました)
「メイドキングダムを目指した哲学者 キルケゴール」
「もっともっとメイドさんとキルケゴール 続・偉大なるダメ人間シリーズその1」
本居宣長については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「本居宣長 国学大成した大学者は、骨の髄から重度のキモオタ」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「本居宣長記念館」(http://www.norinagakinenkan.com/)
「カジ速 Full Auto」(http://www.kajisoku.org/)より
「CLANNADは人生 のガイドライン」
(http://www.kajisoku.com/archives/eid1769.html)
「アルファルファモザイク」(http://alfalfa.livedoor.biz/)より
「アニメは学問。fateは文学。Airは芸術。CLANNADは人生。SchoolDaysは」
(http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51138156.html)
リンクを変更(2010年12月8日)