2008年 08月 14日
<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち
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足利時代までは学問は特権階級の専売特許だったのですが、徳川時代となり民衆生活に余裕が生まれると、民間にも好んで学問研究をする人々が現れるようになります。例えば儒教においても官学であった朱子学だけでなく聖典に直接当って解釈する「古学」が盛んになりました。それと同様に、我が国の古典についても仏教や儒教に影響された解釈から離れ、原典を直接解釈し日本古来の精神を明らかにしようという動きが見られるようになります。これが国学のおこりです。
それを最初に行ったのが契沖でした。彼は没落した武家に生まれ早くから出家したのですが、何を思ったか住職の座を放り出して出奔してしまいます。対人能力に問題があったようで、「絶望した!出家しても一般社会と縁が切れない俗っぽい仏教界に絶望した!」とばかりに自殺を図ったりもしますが果たせず。結局、引きこもり生活に入って好きな勉強を始めました。これが契機となって独自の古典研究が結実するわけですから人生分かりませんね。まあ、水戸藩がスポンサーになってからは好きな学問をして生活できたわけで幸せな生涯というべきでしょう。
その次に有名な学者と言えば荷田春満。「国学の四大人」の先陣を切る彼ですが、他の国学者と比べ余り語られるような変な逸話は多くないようで赤穂事件において吉良義央の在宅を大石良雄らに知らせた事実も余り知られていません。まあ、浪士らの行為に対してはテロリズムという評価も強いですから、それへの加担という事実が明るみに出るのが単純に良いとは言えないでしょうけど。
そして賀茂真淵。彼も契沖同様に一般世間との折り合いが得意ではなかったようで、三十五歳頃に婿入り先の本業であった旅籠を辞めて学問に専念。幸い、すぐに評価されて召抱えられたので失業・ニート状態に陥る事はありませんでした。
国学の大成者と一般に評価されるのが本居宣長です。真淵が伊勢参宮した際に訪れて弟子入りした宣長ですが、雄々しさを重んじた真淵とは違い弱く女々しいのが人の本性だと考えたり物事に触れて突き動かされるやむにやまれぬ心情を「もののあはれ」として重んじたのは知られています。
そんな宣長ですが、やはり対人能力に問題を抱えており、商家へ養子に出されたものの上手くいかずに実家へ帰されています。母親が過保護なまでに世話をして医者にしたのでニート街道一直線だけは免れましたけどね。
で、医者として身を立てるようになりましたが、三十路を越え妻子持ちになっても女性向け恋愛小説「源氏物語」にどっぷりはまって「源氏×六条御息所」の二次創作小説に手を出したりしている筋金入りのキモオタぶりを発揮する有様です。
そればかりか「孔子が源氏物語をもし読んでいたら『詩経』をおいてでも儒教経典にしたに違いない」などといった「CLANNADは人生」に匹敵するような台詞をのたまう剛の者。
で、その後も「源氏物語」のパロディを仲間内で作ったりしているんですが、その際に「紫式部の霊がお礼を言いにきた」とか言い出しています。
更に「古事記」研究に入ったら入ったで「確かに同母兄妹(姉弟)の婚姻はタブーだが、異母兄妹(姉弟)間の婚姻は神が定めた真の道の一部であり、それを禁じる大陸の道徳は人の自然な情を抑圧する偽善だ」などと壮絶な発言をなさっています。
おそらく、彼こそが「キング・オブ・キモオタ」、もしくはキモオタ神ではないかと思います。
で、そのキモオタ神・宣長を崇拝し師と仰いだのが平田篤胤。と言っても、彼が宣長を知った際には宣長は没していましたから最初から脳内師匠なんですけどね。しかしそんな事にはめげず、「自分は夢の中で宣長先生に弟子入りを許された、だから正統な弟子だ」などと電波まがいの台詞を公言していました(実際、宣長の弟子には篤胤を電波扱いする人もいたようです)。さて、篤胤は宣長を尊崇したものの彼が唱えた「人は全て死後には暗黒の世界である黄泉に行くのであり、それはどうにもならないものだ」という死生観には納得できず、民俗信仰やキリスト教教学をも参考にして死後の救済のために独自の死生観・宇宙観を築くにいたります。更に、日本こそが全世界・宇宙の中心である事を立証するため各国の神話を比較し整合させようとしたりしますが、中にはトンデモの領域に達している説もあったようです。おまけに、定職につかず弟子の援助でようやく食いつないでいる有様でしたから、収入のため山師まがいの事にも手を出さざるを得なかったりしたようで。…他にも天狗に浚われたと称する少年や前世の記憶があると称する子供にインタビューをしたりとオカルトにも嵌った困った人でしたが、民間伝承を本格的に研究対象にした近代民俗学の祖でもあったりと功績も大きかったりするので、ただの電波として切り捨てるわけにもいかない扱いが難儀な人です。
国学者には、彼らの他にも知られたところでは対人関係に悩み商売を放り出して引きこもり生活に入った歌人・橘曙覧や老舗煙管屋に生まれたにもかかわらず嫌になって若くして引きこもった村田了阿のような人物もいました。
で、曙覧は過激な排外思想の持ち主であり壁に向かってブツブツ言いながら刃物を持って見えない敵と戦ったりする危ない人でもありました。現代に生まれてたらどうなっていたやら。
しかし、こうして見ると有名な国学者って引きこもりとかニートとかその予備軍とかばっかりですね。社会不適合者の割合が高いのは否定できない事実のようです。まあ、開祖・契沖からして引きこもりでしたからねえ。
考えてみれば、現実社会に馴染めないからこそ、太古に理想を求めてやまなかったんでしょうね。してみるとこれも一種の「自分探し」といえるかもしれません。国学者は多かれ少なかれ歌人でもありましたから、現代風に見るとポエムで自己表現をしたがる人々ともいえそうな。…こう言うと、ものすごく痛い人たちのようにも思えて来るから不思議ですね。
とは言え、僕は彼らの生き方に何だか憧れを感じてしまうのは否定できません。特に「夢に宣長先生が現れた」という篤胤が結構本気で羨ましかったりするのはここだけの秘密です。
このように、国学者の先生たちは素敵な人たちばかりです。興味を持って下さる方が一人でも出るといいな、と思います。
リンクを変更(2010年12月8日)
それを最初に行ったのが契沖でした。彼は没落した武家に生まれ早くから出家したのですが、何を思ったか住職の座を放り出して出奔してしまいます。対人能力に問題があったようで、「絶望した!出家しても一般社会と縁が切れない俗っぽい仏教界に絶望した!」とばかりに自殺を図ったりもしますが果たせず。結局、引きこもり生活に入って好きな勉強を始めました。これが契機となって独自の古典研究が結実するわけですから人生分かりませんね。まあ、水戸藩がスポンサーになってからは好きな学問をして生活できたわけで幸せな生涯というべきでしょう。
「引きこもりニート列伝その34 契沖」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet34.html)
その次に有名な学者と言えば荷田春満。「国学の四大人」の先陣を切る彼ですが、他の国学者と比べ余り語られるような変な逸話は多くないようで赤穂事件において吉良義央の在宅を大石良雄らに知らせた事実も余り知られていません。まあ、浪士らの行為に対してはテロリズムという評価も強いですから、それへの加担という事実が明るみに出るのが単純に良いとは言えないでしょうけど。
「元禄赤穂事件と茶会―戦術的な面から見る―」
そして賀茂真淵。彼も契沖同様に一般世間との折り合いが得意ではなかったようで、三十五歳頃に婿入り先の本業であった旅籠を辞めて学問に専念。幸い、すぐに評価されて召抱えられたので失業・ニート状態に陥る事はありませんでした。
「『喪男』としての国学者たち」
国学の大成者と一般に評価されるのが本居宣長です。真淵が伊勢参宮した際に訪れて弟子入りした宣長ですが、雄々しさを重んじた真淵とは違い弱く女々しいのが人の本性だと考えたり物事に触れて突き動かされるやむにやまれぬ心情を「もののあはれ」として重んじたのは知られています。
「本居宣長」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
そんな宣長ですが、やはり対人能力に問題を抱えており、商家へ養子に出されたものの上手くいかずに実家へ帰されています。母親が過保護なまでに世話をして医者にしたのでニート街道一直線だけは免れましたけどね。
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』またまた補足―本居宣長・青年期の挫折―」
彼のダメ人間ぶり、マザコンぶりを御覧ください。
で、医者として身を立てるようになりましたが、三十路を越え妻子持ちになっても女性向け恋愛小説「源氏物語」にどっぷりはまって「源氏×六条御息所」の二次創作小説に手を出したりしている筋金入りのキモオタぶりを発揮する有様です。
「偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529117/)
「本居宣長『手枕』」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tamakura.html)
そればかりか「孔子が源氏物語をもし読んでいたら『詩経』をおいてでも儒教経典にしたに違いない」などといった「CLANNADは人生」に匹敵するような台詞をのたまう剛の者。
「孔子との関わりから本居宣長を見る―そしてキモオタ伝説がまた一ページ―」
で、その後も「源氏物語」のパロディを仲間内で作ったりしているんですが、その際に「紫式部の霊がお礼を言いにきた」とか言い出しています。
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』おまけ」
更に「古事記」研究に入ったら入ったで「確かに同母兄妹(姉弟)の婚姻はタブーだが、異母兄妹(姉弟)間の婚姻は神が定めた真の道の一部であり、それを禁じる大陸の道徳は人の自然な情を抑圧する偽善だ」などと壮絶な発言をなさっています。
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』補足再び」
おそらく、彼こそが「キング・オブ・キモオタ」、もしくはキモオタ神ではないかと思います。
で、そのキモオタ神・宣長を崇拝し師と仰いだのが平田篤胤。と言っても、彼が宣長を知った際には宣長は没していましたから最初から脳内師匠なんですけどね。しかしそんな事にはめげず、「自分は夢の中で宣長先生に弟子入りを許された、だから正統な弟子だ」などと電波まがいの台詞を公言していました(実際、宣長の弟子には篤胤を電波扱いする人もいたようです)。さて、篤胤は宣長を尊崇したものの彼が唱えた「人は全て死後には暗黒の世界である黄泉に行くのであり、それはどうにもならないものだ」という死生観には納得できず、民俗信仰やキリスト教教学をも参考にして死後の救済のために独自の死生観・宇宙観を築くにいたります。更に、日本こそが全世界・宇宙の中心である事を立証するため各国の神話を比較し整合させようとしたりしますが、中にはトンデモの領域に達している説もあったようです。おまけに、定職につかず弟子の援助でようやく食いつないでいる有様でしたから、収入のため山師まがいの事にも手を出さざるを得なかったりしたようで。…他にも天狗に浚われたと称する少年や前世の記憶があると称する子供にインタビューをしたりとオカルトにも嵌った困った人でしたが、民間伝承を本格的に研究対象にした近代民俗学の祖でもあったりと功績も大きかったりするので、ただの電波として切り捨てるわけにもいかない扱いが難儀な人です。
「引きこもりニート列伝その32 平田篤胤」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet32.html)
国学者には、彼らの他にも知られたところでは対人関係に悩み商売を放り出して引きこもり生活に入った歌人・橘曙覧や老舗煙管屋に生まれたにもかかわらず嫌になって若くして引きこもった村田了阿のような人物もいました。
「引きこもりニート列伝その33 橘曙覧」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet33.html)
で、曙覧は過激な排外思想の持ち主であり壁に向かってブツブツ言いながら刃物を持って見えない敵と戦ったりする危ない人でもありました。現代に生まれてたらどうなっていたやら。
「米国大統領と愛国歌人―橘曙覧―」
しかし、こうして見ると有名な国学者って引きこもりとかニートとかその予備軍とかばっかりですね。社会不適合者の割合が高いのは否定できない事実のようです。まあ、開祖・契沖からして引きこもりでしたからねえ。
「『喪男』としての国学者たち」
考えてみれば、現実社会に馴染めないからこそ、太古に理想を求めてやまなかったんでしょうね。してみるとこれも一種の「自分探し」といえるかもしれません。国学者は多かれ少なかれ歌人でもありましたから、現代風に見るとポエムで自己表現をしたがる人々ともいえそうな。…こう言うと、ものすごく痛い人たちのようにも思えて来るから不思議ですね。
とは言え、僕は彼らの生き方に何だか憧れを感じてしまうのは否定できません。特に「夢に宣長先生が現れた」という篤胤が結構本気で羨ましかったりするのはここだけの秘密です。
このように、国学者の先生たちは素敵な人たちばかりです。興味を持って下さる方が一人でも出るといいな、と思います。
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-08-14 03:29
| NF








