2008年 09月 13日
スイーツ(笑)断罪 1330 ~リアル女はノー・センキュー 僕はフィクションに恋をする~ 徒然草の恋愛論
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今回は吉田兼好(1283~1352)の手になる1330年頃成立の古典随筆『徒然草』における恋愛論を扱います。なかなか突き抜けた内容のキモオタ的文章で、HENTAI帝国日本の名を輝かせてくれることは間違いありません。
(以下、原文の引用は『徒然草 (一)~(四)』講談社学術文庫より)
第三段
<訳>
万事に優れていても、エロを好まない男は、ひどく物足りない奴であって、せっかくの宝玉でできた杯の底が抜けているようなものだ。
野の露や霜に濡れながら、エロ心をリアルに満足させる当てもなくふらつき通し、親が苦言を呈し、世間から馬鹿にされるのを気にする心の余裕もなく、あれこれ妄想に萌え狂いつつ、結局独り寝するばかりで、しかも悶々と熟睡できる日もないような、モテないエロい奴が最高だ。
とはいえ、そんな風にエロにおぼれるだけではなく、女に侮られないようにしておくのが、望ましくはあるのだが。
これは要するに、現代ならば、リアル女そっちのけで悶々とエロゲにはまって世間にキモがられながら生きていくことが、日本男児の最高の生き方だということになろうかと思います。
その上で、その姿はお世辞にも女受けが良いとは言えますまいから、馬鹿にしてくる女に反撃できるよう理論武装はやっておけってところでしょうか?
とはいえ、兼好は、リアルな当てなしに妄想エロに耽るだけで生きていく、超越した生き様はなかなか難しいと考えているようで、ついリアルに惹かれてしまう人間を自分を含めて、嘆かわしく思っています。
第八段
<訳>
世間の人の心を惑わす事で、性欲以上のものはない。人間とは愚かなものだ。
例えば匂いなど、しばらく衣裳に香をたきしめただけの偽りの色気に過ぎないのに、かならず心がときめきしてしまう。久米の仙人が、物を洗う女の白いふくらはぎをみて、魔法使いでなくなったというが、本当に、手足や肌の美しく肉づいているのは、偽物の色気ではないので、いかにももっともなことではあるのだが。
超賢明な隠者の俺様でも思わず香に惑わされ、魔法使いの久米仙人も生足に釣られて魔法を失う、愚かしいことだと、リアル女への欲望を捨て切れぬ、自分を含めた人間たちのオールドタイプぶりを、苦しそうに自嘲気味。
そして、必死に、リアル・エロを自重すべきとの主張を唱えます。
第九段
<訳>
女の髪の立派なのに、人の目は惹きつけられてしまうようだ。もの言いにでも注意を向ければ、人格や、気だてをも、間接的に知ることさえできるというのに。
ことある毎に、何でもない姿態さえもが人の心を惑わし、あらゆる女が、落ち着いて熟睡することなく、身命も顧みないとばかりに、堪えがたきを堪え忍ぶのは、ただエロに夢中であるからだ。
本当に、愛欲の道は、その根源が深く遠い。感覚器官のもたらす快楽は多種多様だが、全て捨て去ることができるはずである。にもかかわらずその中で、ただこのエロの迷いだけは止めるのが困難で、老人も若者も、知者も愚者も、変わりはないようだ。
そういうわけで女の髪をよった綱には、巨象もつなぐことができ、女のはいた下駄から作った笛には、発情期の鹿が必ず寄ってくると言い伝えられているほどだ。自重して、恐れ慎まねばならないのは、エロの迷いである。
見た目に釣られるな、中身は恐いぞ。髪に見とれる前に理性を保って中身を警戒しろ。ツインテールだからツンデレとか、髪が中身を表すような便利な仕組みに現実はなって無いから。だいたいリアルのルートにデレなんて無いよ。リアルにツンがいたら、ツンケンするだけで終わるただの嫌な人だから。
とゆーわけで、見た目の色気に惑わされるな。性欲を押さえ込み、リアル・エロは自重しろ。
こうして、リアル・エロを自重した兼好は、冒頭に紹介した非リアルエロの境地へ立ち戻っていきます。
第百三十七段
<訳>
……
万事、始まるまでの期待と終わった後の余韻こそ趣があるというものだ。男女の恋情も、たかが逢って犯る程度のことを言うものだろうか。逢うこともなく終わった憂いを思いやり、実らなかった契りを嘆き、長い夜を独り悶々と明かして、はるかかなたの思い人を恋い、茅の茂る荒れ家に昔の思い人を偲ぶ、それこそ正しいエロの好み方だ。
……
女なんて現実に目の前に置いて楽しむモンじゃない。心に浮かぶ虚像で充分。
女は紙かjpgで満足できそうですね、このキモオタ。
ちなみに、こんな風に、エロからリアルを引きはがそうとした兼好の女性観は以下の通り。
第百七段
<訳>
女に話しかけられて、とっさに巧く返事できる男なんかめったにいないとか言って調子に乗って、亀山院の時代に、愚かな女官たちが、若い男達が参内するたびに、「今や雅な方々の誰もがいち早く聞きたがっているホトトギスの声を、貴方はもう今年聞きましたか」と問いかけて男がどれだけ雅か試していたところ、某大納言は「取るに足りないこの身は未だ聞いておりません」と様々な和歌に出てくる「数ならぬ身(取るに足りないこの身)」という表現を踏まえた返答を行った。一方、堀川内大臣殿は「岩倉で聞こえた鳴き声がほととぎすのような気がします」と仰ったが、女達は「もうホトトギスの声を聞いたなんてマジ雅。取るに足りないこの身とか言って卑下するしか能のないさっきの奴はキモーイ。」などと愚かな品定めをしていた。
ところで女がこの程度のものであるにもかかわらず、男は全て女に笑われないように育てるべきとか言われている。「浄土寺の前関白殿は幼い頃、後堀河天皇の皇后である安喜門院がよく教育なさったおかげで、言葉使いなど素晴らしい」と仰る人がいるとか。また山階左大臣殿は「卑しい下女に見られているときでさえも、たいへん気にかかって、注意してしまう」などと仰られた。女のいない世の中なら、衣服や冠などどうでも良く、無駄に身なりをとりつくろう者などいないだろうに。
しかし、このように人々が意識している女というものが、どれほど優れているのかと思ってみれば、女の本性は皆ねじくれている。酷い自己中で、激しく欲深、物の道理は知らず、ただ不分別な考えにばかり突っ走り、口は巧いが、質問されれば返答に差し支えのない答えるべき事項は答えず、慎み深くしているように見えても、今度は、あきれるような事を、聞かれもしないのに語り出す。深く企み上辺を飾りたてるから、男より知恵に勝っているのかと思えば、虚飾が後でばれてしまうことにも気づけない。素直さを欠くのに、巧妙さもないのが女というものだ。そのような者の心に追従して良く思われようなど、情けない話である。それなのに、どうして女を気にする必要があろう。まあ賢女がいても、親しみにくく興ざめなだけだ。結局女などというものは、気の迷いで追いかけてみた場合にのみ、優美で魅力的な気がするだけのものなのだ。
長々と論じ立ててますが、一言で表すと、
スイーツ(笑)
そしてこのような女性観の兼好は、当然、結婚にも否定的です。
第百九十段
<訳>
妻など男は持つものではない。「ずっと独り暮らしで」などと言っている者こそ、たいへん感じが良いものだ。「だれそれの婿になりました」だの、あるいは、「こういう女を嫁にして、同棲しています」などと言っているのは、なんとも幻滅させられる姿である。大したこともない女を魅力的だと思い込んでさかっているのが無様すぎて見え見えであるし、万一いい女に見えても、結婚に舞い上がってるようなバカ男を愛しく見つめて、仏かなんかのように有り難がってるのだから、結局は、それも大したレベルの女ではないはずだ。それにも増して、ふんぞり返って家を切り盛りし始めた女など、鬱陶しくて仕方ない。
ガキなどひり出して、世話焼きしてる姿は不愉快だ。男の死後には、ババァの尼が残るわけだが、男の死後にも結婚は無様な残骸を残すというわけだ。
どんな女だろうと、明け暮れ一緒に過ごせば、極めて嫌らしく、憎たらしいものだ。それは女にとっても良い関係ではあるまい。だから普段は合うことなく、時々訪れてスッキリさせてもらうような関係に留めさせてもらいたいもので、そうすれば長続きもできるだろうよ。要は、かりそめに訪れて、ちょっと犯っていく程度なら、新鮮味もあって、好ましいつきあいになるということだ。
どうも、この男、リアル女や結婚はウザいけど、お手軽に犯ることだけは犯りたいみたいです。
下半身さえあればいい 下半身さえあればいい 下半身さえあればいい メスは豚だ(クラウザーさん『デトロイト・メタル・シティ』1巻 104頁)
とか思ってるに違いありません。
ですがそんな都合の良いことが、リアル女を忌避して妄想全開な人間にできるはずもありません。さすがにそのことに気づき、第百三十七段における紙かjpgの誓いを思い出したのでしょう。彼は後の方で、再び脱リアルの境地に帰り着きます。
第二百四十段
<訳>
忍んで逢うのに人の目が煩わしく、闇に紛れて逢うにも見張りが多く、これをどうにかして女の元になどと親兄弟の目をかいくぐって思いを燃やす恋の体験においては、忘れられない素敵な思いも多くできるであろう。だが惚れてももらえぬモテない男が、親兄弟のほうに取り入って、やっとのことで嫁に据えるなんてことをしたところで、確実に、目も当てられないことになるぞ。
生活苦に陥った女が、ハゲジジィや卑しい関東人が金持ってるのにつられて、「お話があれば」などと言っているのをいいことに、仲人が、どちらも素敵だなどと言いつくろって、どこの馬の骨とも分からん女を迎えてしまうのも悲惨なものだ。何かを語り合うことさえできはしない。経た年月のつらさを振り返り「一緒に色々乗り越えてようやくここに」などと語り合えるならば、言葉も尽きないだろうが。
だいたい、当人同士が惚れ合ったでもなしに、人の取りはからった結婚なんてものは、居心地が悪く、不愉快なことが多いものだ。相手がいい女だった場合でさえ、ブサイクで年食った男は、こんなキモい俺を愛して人生無駄にするなんてことがあるはずがないと、相手の下心に気づいて幻滅することになるし、向かい合っては、キモい我が身を気まずく思うことになるだろう。この上なく、痛々しい結婚生活だ。
梅の花の香る朧月夜に通い、邸の庭の露をかき分けて帰るといった物語で描かれたような美しい情景を自然と体験し、我が身の出来事として思い返せる恋愛の素質に恵まれた人間でなければ、色事は恋という醍醐味なしに寒々しい結婚をもたらすだけだから、リアルで性欲満たそうなどと考えない方が身のためだろうよ。
要するに、キモオタにとって三次元は絶望、三次元はリア充のもの、キモオタには三次元との恋愛は無理だから、さっさと諦めてしまおうぜってことですね。
ところでモテない男性が、分際をわきまえず女性に恋愛関係迫ってしまって激しい拒絶と侮蔑を受けるのを回避するため、女性に関心が無いという冷めた心的姿勢を完成させることを「護身」などと呼んだりするようですが、兼好も「護身」を完成させています。
第二百三十八段
<訳>
……
…二月十五日、満月で月の明るい夜、夜ふけに千本の寺に詣でて、後ろの方から入って、ひとりで深く顔を隠しながら説教を聴聞していたところ、優雅な女で姿や香りが素晴らしいのが、人混みをかき分け入ってきて膝に寄りかかってきて、香りが移るほどであったのだが、なんかヤバいと思って、膝をずらせると、なお寄りかかってきてまた同じ様なことになったので、席を立った。
その後、御所の辺りにおられるある方に仕える古参の侍女が、雑談のついでに、「ひどく野暮な方だと、あなたを見損なったことがあったのですよ。つれない人だとあなたを恨んでいる人がいるのです」と仰ったのだが、「何のことだが全く分かりませんが」と申し上げておいた。
これについて、後に聞いたところでは、あの聴聞の夜、特別席の中から御覧になった人が、お付きの侍女に身を飾らせて「うまいこと、言葉をかけるのだぞ。それで様子を帰ってから報告しろ。面白かろう」と送り出し、はめようとしていたのだそうな。
……
護身完成していたおかげで、嘘の告白真に受けて嘲笑されるのを免れたってわけです。
七つの自慢話とか言ってこれを記して、兼好とっても誇らしげ。
よかったね、兼好。
でもな、兼好、お前はこれを誇らしげに書いてるけど、どっちみちお前、嘲笑されてるから。
あいつキョドって逃げてって超キモーイ キャハハハハハとか絶対メチャクチャ言われてるから。
どうしたところでキモイお前は笑い者だから。
でも、たとえそれでも、勘違いして鼻息荒くして笑われるより、絶対、傷は浅いから、やっぱり護身完成してて、本当によかったね、兼好。
とりあえず長くなったので兼好の論を短くまとめておくと、
モテない奴は恋愛捨てて、リアル女と縁を切れ。
スイーツ(笑)恐い。二次元オナニー最高。
って感じかと思われます。
あまりにアレなんで、「女性抜きの「色好み」──これ以上、滑稽な観念世界への転落は考えられないだろう」(中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書 189頁)とか評されたりもしていますね。
とまあ、そういうことで、兼好はエロゲでもやって、適当なヒロインを選び、例えば、みさき先輩なんかと脳内結婚すれば良いと思いますよ。
ところで、『徒然草』と『枕草子』は日本の古典随筆の双璧らしいのですが、キモオタのモテない怨念ぶちまけ日記とセレブ(笑)に飼われたスイーツ(笑)の愛され日記が、二大古典とは、日本の随筆って……。
参考資料
『徒然草 (一)~(四)』三木紀人訳注 講談社学術文庫
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html
(以下2010年6月26日加筆)
吉田兼好については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「吉田兼好 女など心に浮かぶ虚像で十分 ~700年前の二次元大好きキモオタのリアル女弾劾の声を聞け~」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月8日)
(以下、原文の引用は『徒然草 (一)~(四)』講談社学術文庫より)
第三段
よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なきこゝちぞすべき。
露霜もしほたれて、所さだめずまどひありき、親のいさめ、世の謗りをつゝむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひみだれ、さるは独寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
<訳>
万事に優れていても、エロを好まない男は、ひどく物足りない奴であって、せっかくの宝玉でできた杯の底が抜けているようなものだ。
野の露や霜に濡れながら、エロ心をリアルに満足させる当てもなくふらつき通し、親が苦言を呈し、世間から馬鹿にされるのを気にする心の余裕もなく、あれこれ妄想に萌え狂いつつ、結局独り寝するばかりで、しかも悶々と熟睡できる日もないような、モテないエロい奴が最高だ。
とはいえ、そんな風にエロにおぼれるだけではなく、女に侮られないようにしておくのが、望ましくはあるのだが。
これは要するに、現代ならば、リアル女そっちのけで悶々とエロゲにはまって世間にキモがられながら生きていくことが、日本男児の最高の生き方だということになろうかと思います。
その上で、その姿はお世辞にも女受けが良いとは言えますまいから、馬鹿にしてくる女に反撃できるよう理論武装はやっておけってところでしょうか?
とはいえ、兼好は、リアルな当てなしに妄想エロに耽るだけで生きていく、超越した生き様はなかなか難しいと考えているようで、ついリアルに惹かれてしまう人間を自分を含めて、嘆かわしく思っています。
第八段
世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心どきめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、誠に、手足・はだへなどのきよらに肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
<訳>
世間の人の心を惑わす事で、性欲以上のものはない。人間とは愚かなものだ。
例えば匂いなど、しばらく衣裳に香をたきしめただけの偽りの色気に過ぎないのに、かならず心がときめきしてしまう。久米の仙人が、物を洗う女の白いふくらはぎをみて、魔法使いでなくなったというが、本当に、手足や肌の美しく肉づいているのは、偽物の色気ではないので、いかにももっともなことではあるのだが。
超賢明な隠者の俺様でも思わず香に惑わされ、魔法使いの久米仙人も生足に釣られて魔法を失う、愚かしいことだと、リアル女への欲望を捨て切れぬ、自分を含めた人間たちのオールドタイプぶりを、苦しそうに自嘲気味。
そして、必死に、リアル・エロを自重すべきとの主張を唱えます。
第九段
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたる寝も寝ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著の道、その根ふかく、源とほし。六塵の楽欲おほしといへども、皆厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしとみゆる。
されば、女の髪すぢをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひつたへ侍る。みづからいましめて、恐るべく慎しむべきは、この惑ひなり。
<訳>
女の髪の立派なのに、人の目は惹きつけられてしまうようだ。もの言いにでも注意を向ければ、人格や、気だてをも、間接的に知ることさえできるというのに。
ことある毎に、何でもない姿態さえもが人の心を惑わし、あらゆる女が、落ち着いて熟睡することなく、身命も顧みないとばかりに、堪えがたきを堪え忍ぶのは、ただエロに夢中であるからだ。
本当に、愛欲の道は、その根源が深く遠い。感覚器官のもたらす快楽は多種多様だが、全て捨て去ることができるはずである。にもかかわらずその中で、ただこのエロの迷いだけは止めるのが困難で、老人も若者も、知者も愚者も、変わりはないようだ。
そういうわけで女の髪をよった綱には、巨象もつなぐことができ、女のはいた下駄から作った笛には、発情期の鹿が必ず寄ってくると言い伝えられているほどだ。自重して、恐れ慎まねばならないのは、エロの迷いである。
見た目に釣られるな、中身は恐いぞ。髪に見とれる前に理性を保って中身を警戒しろ。ツインテールだからツンデレとか、髪が中身を表すような便利な仕組みに現実はなって無いから。だいたいリアルのルートにデレなんて無いよ。リアルにツンがいたら、ツンケンするだけで終わるただの嫌な人だから。
とゆーわけで、見た目の色気に惑わされるな。性欲を押さえ込み、リアル・エロは自重しろ。
こうして、リアル・エロを自重した兼好は、冒頭に紹介した非リアルエロの境地へ立ち戻っていきます。
第百三十七段
……
よろづの事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢い見るをばいふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。
……
<訳>
……
万事、始まるまでの期待と終わった後の余韻こそ趣があるというものだ。男女の恋情も、たかが逢って犯る程度のことを言うものだろうか。逢うこともなく終わった憂いを思いやり、実らなかった契りを嘆き、長い夜を独り悶々と明かして、はるかかなたの思い人を恋い、茅の茂る荒れ家に昔の思い人を偲ぶ、それこそ正しいエロの好み方だ。
……
女なんて現実に目の前に置いて楽しむモンじゃない。心に浮かぶ虚像で充分。
女は紙かjpgで満足できそうですね、このキモオタ。
ちなみに、こんな風に、エロからリアルを引きはがそうとした兼好の女性観は以下の通り。
第百七段
女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男はありがたきものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるるごとに、「郭公や聞き給へる」と問ひて心みられけるに、なにがしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難無し。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。
すべてをのこをば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひけるゆゑに、御詞などのよきぞ」と人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるる」とこそ、仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。
かく人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず、ただ迷ひの方に心もはやく移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで、問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡よりあらはるるを知らず。すなほならずして、つたなきものは女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。ただ迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、おもしろくも覚ゆべき事なり。
<訳>
女に話しかけられて、とっさに巧く返事できる男なんかめったにいないとか言って調子に乗って、亀山院の時代に、愚かな女官たちが、若い男達が参内するたびに、「今や雅な方々の誰もがいち早く聞きたがっているホトトギスの声を、貴方はもう今年聞きましたか」と問いかけて男がどれだけ雅か試していたところ、某大納言は「取るに足りないこの身は未だ聞いておりません」と様々な和歌に出てくる「数ならぬ身(取るに足りないこの身)」という表現を踏まえた返答を行った。一方、堀川内大臣殿は「岩倉で聞こえた鳴き声がほととぎすのような気がします」と仰ったが、女達は「もうホトトギスの声を聞いたなんてマジ雅。取るに足りないこの身とか言って卑下するしか能のないさっきの奴はキモーイ。」などと愚かな品定めをしていた。
ところで女がこの程度のものであるにもかかわらず、男は全て女に笑われないように育てるべきとか言われている。「浄土寺の前関白殿は幼い頃、後堀河天皇の皇后である安喜門院がよく教育なさったおかげで、言葉使いなど素晴らしい」と仰る人がいるとか。また山階左大臣殿は「卑しい下女に見られているときでさえも、たいへん気にかかって、注意してしまう」などと仰られた。女のいない世の中なら、衣服や冠などどうでも良く、無駄に身なりをとりつくろう者などいないだろうに。
しかし、このように人々が意識している女というものが、どれほど優れているのかと思ってみれば、女の本性は皆ねじくれている。酷い自己中で、激しく欲深、物の道理は知らず、ただ不分別な考えにばかり突っ走り、口は巧いが、質問されれば返答に差し支えのない答えるべき事項は答えず、慎み深くしているように見えても、今度は、あきれるような事を、聞かれもしないのに語り出す。深く企み上辺を飾りたてるから、男より知恵に勝っているのかと思えば、虚飾が後でばれてしまうことにも気づけない。素直さを欠くのに、巧妙さもないのが女というものだ。そのような者の心に追従して良く思われようなど、情けない話である。それなのに、どうして女を気にする必要があろう。まあ賢女がいても、親しみにくく興ざめなだけだ。結局女などというものは、気の迷いで追いかけてみた場合にのみ、優美で魅力的な気がするだけのものなのだ。
長々と論じ立ててますが、一言で表すと、
スイーツ(笑)
そしてこのような女性観の兼好は、当然、結婚にも否定的です。
第百九十段
妻といふものこそ、をのこの持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ。「誰がしが婿になりぬ」とも、また、「いかなる女を取りすゑて、あひ住む」など聞きつれば、むげに心劣りせらるるわざなり。ことなる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、いやしくもおしはかられ、よき女ならば、この男をぞらうたくして、あが仏とまもりゐたらめ、例へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内を行ひ治めたる女、いと口惜し。
子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男亡くなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、なきあとまであさまし。
いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも半空にこそならめ。よそながらときどき通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬなからひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、めづらしかりぬべし。
<訳>
妻など男は持つものではない。「ずっと独り暮らしで」などと言っている者こそ、たいへん感じが良いものだ。「だれそれの婿になりました」だの、あるいは、「こういう女を嫁にして、同棲しています」などと言っているのは、なんとも幻滅させられる姿である。大したこともない女を魅力的だと思い込んでさかっているのが無様すぎて見え見えであるし、万一いい女に見えても、結婚に舞い上がってるようなバカ男を愛しく見つめて、仏かなんかのように有り難がってるのだから、結局は、それも大したレベルの女ではないはずだ。それにも増して、ふんぞり返って家を切り盛りし始めた女など、鬱陶しくて仕方ない。
ガキなどひり出して、世話焼きしてる姿は不愉快だ。男の死後には、ババァの尼が残るわけだが、男の死後にも結婚は無様な残骸を残すというわけだ。
どんな女だろうと、明け暮れ一緒に過ごせば、極めて嫌らしく、憎たらしいものだ。それは女にとっても良い関係ではあるまい。だから普段は合うことなく、時々訪れてスッキリさせてもらうような関係に留めさせてもらいたいもので、そうすれば長続きもできるだろうよ。要は、かりそめに訪れて、ちょっと犯っていく程度なら、新鮮味もあって、好ましいつきあいになるということだ。
どうも、この男、リアル女や結婚はウザいけど、お手軽に犯ることだけは犯りたいみたいです。
下半身さえあればいい 下半身さえあればいい 下半身さえあればいい メスは豚だ(クラウザーさん『デトロイト・メタル・シティ』1巻 104頁)
とか思ってるに違いありません。
ですがそんな都合の良いことが、リアル女を忌避して妄想全開な人間にできるはずもありません。さすがにそのことに気づき、第百三十七段における紙かjpgの誓いを思い出したのでしょう。彼は後の方で、再び脱リアルの境地に帰り着きます。
第二百四十段
しのぶの浦の蜑の見るめも所せく、くらふの山も守る人しげからんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。親・はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
世にあり侘ぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、にぎははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など言ふを、仲人、何方も心にくきさまに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。何事をか、打ち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、「分け来し葉山の」などもあひ語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
すべて、よその人の取りまかなひたらん、うたて、心づきなき事多かるべし。よき女ならんにつけても、品くだり、見にくく、年もたけなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣りせられ、我が身は、むかひゐたらんも、影はづかしく覚えなん。いとこそ、あいなからめ。
梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身さまにしのばるべくもなからん人は、ただ色好まざらんにはしかじ。
<訳>
忍んで逢うのに人の目が煩わしく、闇に紛れて逢うにも見張りが多く、これをどうにかして女の元になどと親兄弟の目をかいくぐって思いを燃やす恋の体験においては、忘れられない素敵な思いも多くできるであろう。だが惚れてももらえぬモテない男が、親兄弟のほうに取り入って、やっとのことで嫁に据えるなんてことをしたところで、確実に、目も当てられないことになるぞ。
生活苦に陥った女が、ハゲジジィや卑しい関東人が金持ってるのにつられて、「お話があれば」などと言っているのをいいことに、仲人が、どちらも素敵だなどと言いつくろって、どこの馬の骨とも分からん女を迎えてしまうのも悲惨なものだ。何かを語り合うことさえできはしない。経た年月のつらさを振り返り「一緒に色々乗り越えてようやくここに」などと語り合えるならば、言葉も尽きないだろうが。
だいたい、当人同士が惚れ合ったでもなしに、人の取りはからった結婚なんてものは、居心地が悪く、不愉快なことが多いものだ。相手がいい女だった場合でさえ、ブサイクで年食った男は、こんなキモい俺を愛して人生無駄にするなんてことがあるはずがないと、相手の下心に気づいて幻滅することになるし、向かい合っては、キモい我が身を気まずく思うことになるだろう。この上なく、痛々しい結婚生活だ。
梅の花の香る朧月夜に通い、邸の庭の露をかき分けて帰るといった物語で描かれたような美しい情景を自然と体験し、我が身の出来事として思い返せる恋愛の素質に恵まれた人間でなければ、色事は恋という醍醐味なしに寒々しい結婚をもたらすだけだから、リアルで性欲満たそうなどと考えない方が身のためだろうよ。
要するに、キモオタにとって三次元は絶望、三次元はリア充のもの、キモオタには三次元との恋愛は無理だから、さっさと諦めてしまおうぜってことですね。
ところでモテない男性が、分際をわきまえず女性に恋愛関係迫ってしまって激しい拒絶と侮蔑を受けるのを回避するため、女性に関心が無いという冷めた心的姿勢を完成させることを「護身」などと呼んだりするようですが、兼好も「護身」を完成させています。
第二百三十八段
……
…二月十五日、月明き夜、うちふけて、千本の寺に詣でて、後ろより入りて、ひとり顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、匂ひなども移るばかりなれば、便あしと思ひて、すり退きたるに、なほゐよりて、同じ様なれば、立ちぬ。
その後、ある御所さまの古き女房の、そぞろごと言はれしついでに、「むげに色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情けなしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出だしたるに、「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。
この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より人の御覧じ知りて、さふらふ女房をつくりたてて出だし給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、はかり給ひけるとぞ。
……
<訳>
……
…二月十五日、満月で月の明るい夜、夜ふけに千本の寺に詣でて、後ろの方から入って、ひとりで深く顔を隠しながら説教を聴聞していたところ、優雅な女で姿や香りが素晴らしいのが、人混みをかき分け入ってきて膝に寄りかかってきて、香りが移るほどであったのだが、なんかヤバいと思って、膝をずらせると、なお寄りかかってきてまた同じ様なことになったので、席を立った。
その後、御所の辺りにおられるある方に仕える古参の侍女が、雑談のついでに、「ひどく野暮な方だと、あなたを見損なったことがあったのですよ。つれない人だとあなたを恨んでいる人がいるのです」と仰ったのだが、「何のことだが全く分かりませんが」と申し上げておいた。
これについて、後に聞いたところでは、あの聴聞の夜、特別席の中から御覧になった人が、お付きの侍女に身を飾らせて「うまいこと、言葉をかけるのだぞ。それで様子を帰ってから報告しろ。面白かろう」と送り出し、はめようとしていたのだそうな。
……
護身完成していたおかげで、嘘の告白真に受けて嘲笑されるのを免れたってわけです。
七つの自慢話とか言ってこれを記して、兼好とっても誇らしげ。
よかったね、兼好。
でもな、兼好、お前はこれを誇らしげに書いてるけど、どっちみちお前、嘲笑されてるから。
あいつキョドって逃げてって超キモーイ キャハハハハハとか絶対メチャクチャ言われてるから。
どうしたところでキモイお前は笑い者だから。
でも、たとえそれでも、勘違いして鼻息荒くして笑われるより、絶対、傷は浅いから、やっぱり護身完成してて、本当によかったね、兼好。
とりあえず長くなったので兼好の論を短くまとめておくと、
モテない奴は恋愛捨てて、リアル女と縁を切れ。
スイーツ(笑)恐い。二次元オナニー最高。
って感じかと思われます。
あまりにアレなんで、「女性抜きの「色好み」──これ以上、滑稽な観念世界への転落は考えられないだろう」(中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書 189頁)とか評されたりもしていますね。
とまあ、そういうことで、兼好はエロゲでもやって、適当なヒロインを選び、例えば、みさき先輩なんかと脳内結婚すれば良いと思いますよ。
ところで、『徒然草』と『枕草子』は日本の古典随筆の双璧らしいのですが、キモオタのモテない怨念ぶちまけ日記とセレブ(笑)に飼われたスイーツ(笑)の愛され日記が、二大古典とは、日本の随筆って……。
参考資料
『徒然草 (一)~(四)』三木紀人訳注 講談社学術文庫
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html
(以下2010年6月26日加筆)
吉田兼好については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「吉田兼好 女など心に浮かぶ虚像で十分 ~700年前の二次元大好きキモオタのリアル女弾劾の声を聞け~」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2008-09-13 22:09
| My(山田昌弘)








