平安前期シスコン伝記 小野篁、妹を愛す -『篁物語』 ~いもうと~
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ところで、この業平には、文学史上に強力なライバルとでも言うべき男が存在します。
それは小野篁(802~852)。
当時の随一の漢詩人で、和歌の業平とともに文学界に双璧を成した人物です。
そしてこの篁、『篁物語(篁日記)』の主人公として、異母妹との悲恋の伝説を残しており、シスコン兄ちゃんぶりでも、業平のライバル。
こいつらの時代には、妹との関係は、異腹の妹でも既に一応は禁忌だったらしいのですが、まったくこいつらは……。
というわけで今日は、この『篁物語』を軽く紹介したいと思います。(原文引用は『日本古典文学大系 77』より。文中記号部分と改行を一部改変)
篁が妹と近づいていったその始まりはこんな感じ。
親の、いとよくかしづきける、人のむすめ、ありけり。女のするざえのかぎりしつくして、今は「書讀ません」とて、「博士にはむつまじからん人をせん」とて、異腹の子の大學の衆にてありけり、異腹なりければ、うとくて、「あひ見ず」などありけれど、「知らぬ人よりは」とて、すだれ越しに、几帳たててぞ、讀ませける。この男、いとおかしきさまを見て、すこし馴れゆくまゝに、顔を見せ物語りなどもして、文のてといふものを取らせたりけるを、見れば、かくひちして、一首をなん書きたりける。
なかにゆく吉野の河はあせななん妹背の山を越ゑてみるべく
とありければ、「かゝりける」と心づかいしけれど、「なさけなくやは」とて、
妹背山かげだに見えでやみぬべく吉野の河は濁れとぞ思ふ
<訳>
親が非常に大切に世話をしている、娘がいた。女の身につけるべき芸は習得し終えたので、今度は「漢籍を読ませよう」といって、「家庭教師には仲の良い人がよかろう」と、異腹の子が大学生であるのに目を付けたところ、異腹で疎遠な仲だったので、「会いたくない」などとごねてしまい、すだれと几帳で間を隔てて、読み教えさせることになった。この男は、妹が非常にかわいらしい様子なのを見て、少しずつ慣れ親しんで顔を合わせて話などできるようにもなったところで、漢籍を読むための点図を渡して角筆で指し示し、そこに歌が一首書き付けてあるのを見せた。
河越えて妹背の山を越すようにタブーを越えて嫁は妹
とあったので、「こんなこと考えてたんだ」と警戒したものの、無視して「恋に疎いお子さまとか思われるような態度はとりたくない」ということで
妹背山寄ってこぬようバカ兄を流してしまえ麓の吉野河
で、まあこれに続けて、同棲しよう、イヤよっ分けわからんこと言うなっ、そんなこと言うな絶対結婚する、などと何回か歌のやりとりする内に、妹もあまりウザがったりはしなくなった(「いとけうとくなかりけり」)のだとか。
そして二人は月夜にこっそり語らったり、家庭教師をしながら意識してドギマギしたりポエムで思いを探り合ったりして、微妙に関係が深まっていきました。
その後、二月に初午で伏見稲荷にお参りしたときに、小野兄妹御一行は徒歩でお参りして、
詣でざまに困じにければ、兄いとおかしがりて、「篁にかゝり給へ」とて寄りければ、「いで、いないな」と言ひて、道中に去にけり
<訳>
途中で妹が疲れ果ててしまったので、兄は非常にかわいそうに思って「俺にもたれかかっておいで」と側に寄ったところ、「いいいいい、いいよ、いいよ」と言って、また歩き出した
とか微妙にイチャイチャしていたところ、そこで颯爽と牛車に乗って、兵衛府の次官を務める若い男が、乗っていきなよとナンパの声かけ、敵キャラとして大登場。
休憩のふりして車を降りて、「俺の愛を感じとってくれ(思ふ心をそらに知らなん)」などと妹にちょっかいかけてきます。これに対して兄妹は、兄は不機嫌に睨み付け、妹は「あんたの心なんか知らない(知ること難し人の心を)」と求愛をあっさりと撥ねつけ、車を調達して、さっさと立ち去っていったのですが、ここからしばらく敵との攻防が続きます。
子供に後をつけさせ家を探り出し、子供に持たせて恋歌を届けてくる男。
通りすがってそれっきりの仲だとつれなく返す妹。それにもめげずに再会を求める男。
そして、見つけるたびに子供を追い返す兄。
そうする内に、やがて兄は一計を案じ、使いの子供に、妹がさらわれてしまったが犯人はお前の主人かとどやしつけ、子供をびびらせ、相手の男を騙し、どうにか悪い虫を撃退したそうです。
それでも悪い虫に嫉妬心をかき立てられた兄の心は収まらず、いつものように面倒見にやって来たところで、
「すれ違っただけのどこの馬の骨とも分からん男と、手紙をやりとりして、思いを寄せるよう女だったなんて(道あひの知りも知らぬ人に、文かよはし懸想じ給ふ、人の御心こそありけれ。)」だの「情けない。そんな奴だとは思わなかった(心うしと。思はずなり)」だのとグチグチ皮肉や不満をたれますが、
さすがにラヴな妹でもこれには腹を立て、「何にも知らないくせに、なんでそんなことばっかり言うのよっ(いかに知りてか、ともかうも思はん)」、「そんなに私が嫌なら、もう面倒見てくれなくて良いもんっ(目にちかざらん人を、しひも見給へと、思はん)」と拗ねて引きこもってしまったようです。
こんな感じで波乱もあれど、その後も家庭教師を続けつつ二人の仲はますます加熱。
兄は悶えて「俺がこんなに思ってるのに、どうせお前は他の男を思ってるんだ、絶望した!(かぎりなき心を思知らずして、よそなる人を思ひたまへるこそ、つらけれ)」とか言って、
嘆きの歌を寄こし、妹は妹で、熱烈に返歌
あはれとは君ばかりをぞ思ふらんやるかたもなき心とを知れ
<訳>
お兄ちゃん他の人など見てないよ切ない思いはみんな貴方の
これには兄も「ちょっと満足(すこし心ゆき)」。
こうしてとうとう、二人の仲は絶頂へ、夢の心地に登り行く。
かく言ひて、心はかよひけれど、親にもつゝみ、人にもさはりければ、心とけて久しくも語らはずあり。されど、いかでか入りけむ、この妹の寝たるところへ入りにけり。いとしのびて、まだ夜ぶかく、出でにけり。たまさかに、這い入り入りたりけど、あふことは難かりけり。常に向かひゐたりければ、夜はあはず、中中に心はそらにて、「いかにせん」と思い嘆きて、
うちとけぬものゆへ夢を見て覺めてあかぬもの思ふころにもあるかな
返し、
いを寝ずは夢にも見えじをあふことの嘆く嘆くもあかしはたしを
かく夢のごとある人は、はらみにけり。……
<訳>
こんな感じに想いを通じ合っていたが、親にも隠し、人目も邪魔だったので、落ち着いてゆっくり語り合うことも出来なかった。それでも篁は、どうやって忍び込んだのか、この妹の寝ているところに入り込むことができた。そして非常に慎重に、まだ夜の深い内に、出て行った。それからもたまには、夜這いしに入ったけれど、なかなかそういう機会は多くはなかった。普段は向かい合って過ごせたけれど、夜のほうは逢えず、おかげで上の空になって、「なんとかならないか」と思い嘆いて、
イチャイチャと過ごせないから一日中寝ても覚めても募る想いよ
妹は返歌して、
恋しくて寝れず寝られぬ夢とさえ逢瀬無く泣くつらい夜明けよ
こうして夢のように過ごす中で女は、妊娠した。……
そして襲いかかる現実
かゝることを、母おとゞ聞き給て、ものもの給はで、うかゞひたまひて、向かひたまひたりけるを、手を取りて、引きもてゆきて、部屋にこめてけり。
<訳>
こういった事情を、母君がお聞きになって、何も仰らずに様子を窺っていて、向かい合って座っているところをおさえて、妹の手を掴んで、引きずっていって、部屋に閉じ込めてしまった。
母は、優しい父ちゃんが、まあまあ二人の話も聞いてみようよと言うのも無視して、
いよいよ鍵の穴に土ぬりて、「大學の主をば、家の中にな入れそ」とて、追いければ、曹司にこもりゐて、泣きけり。妹のこもりたる所にいきて見れば、かべの穴いささかありけるをくじりて、「ここもとに寄り給へ」と呼び寄せて、物語して、泣きおりて、出でなまほしく思へど、まだいと若くて、いたりたべき人もなく、わびければ、ともかくもえせで、いといみじく思ひて、語らひをる程に、夜あけぬべし。
<訳>
ついには鍵の穴まで土を塗り込めて、「あの大学生は家に入れるな」と言って、追い立てたので、兄は自室に籠もって、泣いていた。妹の閉じ込められた所に行ってみると、壁に穴が少しだけ開いているのをほじくって、「こっちに寄っておいで」と呼び寄せて、語らい泣いて、妹も抜け出したく思ったけれど、まだ幼くて、助けになってくれる人も来ず、困り果てて、どうしようもなく、悲しく思いながら、夜は明けてしまった。
その後、兄は動揺して巧く立ち回れないこともあり、また特に警戒されていて近づけないというのもあったのでしょう、下男を使いに穴の所へ食べ物を届けさせますが、
誰がためと思う命のあらばこそ消ぬべき身をも惜しみとゞめめ
<訳>
生きるのは会いたいからだよお兄ちゃん来てくれないから今はもう死ぬ
といって妹は受け取らず、
かしこくして、またまたいきてみれば、三四日ものも食はで、もの思ひければ、いとくちおしく息もせず。「いかゞおはします」と言いければ、
消えはてて身こそは灰になりはてめ夢の魂君にあひそへ
<訳>
どうにかして、再び行くことが出来たときには、三、四日ものも食べず、思い沈んでいたので、非常に残念なことに、息も絶えそうであった。「大丈夫か」と声をかけると、
おにいちゃん私のからだは消えるけど魂だけはずっといっしょよ
兄はなおも妹に泣く泣く語りかけていたのですが、やがて反応もなくなり、
ついに
妹が死んだ。
少し続きます
参考資料
『日本古典文学大系 77 篁・平中・濱松中納言物語』 岩波書店
『現代語譯 日本古典文學全集 更級日記 平中物語 篁物語 堤中納言物語』池田弥三郎訳 河出書房
『物語文学研究叢書 第11巻 校註篁物語 校註海人刈藻ほか』クレス出版
『新版 伊勢物語』石田穣二訳注 角川ソフィア文庫
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/michizane.html
小野一族の人名が出てきます
遣唐使~その歴史的経緯と役割~
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030418.html
篁は遣唐使に選ばれながら逃げ出した人物です
(以下2010年6月26日加筆)
小野篁については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「小野篁 在原業平 妹よ ああ妹よ 妹よ それにつけても 妹可愛い ~平安時代のシスコン天才歌人たち~」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月8日)