エロマンガ大王 後白河法皇 ~日本エロマンガの歴史は天皇家より始まる~
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デパートで売られる嫁入り道具のタンスの中。
そこには秘画帖、すなわちエロ絵集が忍ばせてあったといいます。
つまりは新妻に二次元で教えるハウ・トゥ・セックス。
そしてそれを遡ること700年以上も昔の1172年。
高倉帝と婚約した平清盛の娘、建礼門院、平徳子には『小柴垣草子』と呼ばれる見事な秘画が叔母の建春門院から贈られており、これこそが花嫁に性の手引き書としてエロ絵が与えられた日本史上の最初の例であるとか何とか。
そしてこの『小柴垣草子』はまた、日本史上最初の純然たるエロ絵画作品だとも言われています。
もちろんそれまでにも、エロ要素を含んだ絵が存在しなかったわけではありません。
たとえば法隆寺の天井板の見えないところにはエロい落書きが残されているそうですし、偃側図(おそくず)の絵と言われる医療用の体位図が、次第に好色的興味を持って制作されるようになって行ってもいます。
また『陽物比べ絵巻』や『屁合戦絵巻』といった初期の絵巻物は主たる性格は滑稽描写でありながら、一応、性を表現した作品であり、好色的興味をそこに見出すことも不可能ではないでしょう。
しかし真に好色的と言える扇情的なエロ絵が高度に完成した作品として姿を現したのは、ようやく『小柴垣草子』の登場においてなのです。
そしてこの『小柴垣草子』は一のエロ場面を抜き出して描いただけの単品の絵ではなく、詞書すなわち文章と一連の絵を交互に配列して物語を描きだした絵巻物、いわばエロ漫画なわけですが、この詞書の作者は、なんと後白河法皇(1127~1192年)だと言われているのです。
ちなみに後白河法皇といえば、無数の傑作絵巻物を世に送り出した、絵巻物製作のパトロン兼敏腕チーフプロデューサー、
いわば当時の天才漫画編集者であって、彼の指揮下に世に送り出された作品の中には、
種々の病気や奇形とその苦悶を、性器も赤裸々なドぎつい描写で残酷なまでに鮮やかに描いて見せた、『病草紙』のような作品、
人間存在の業と苦悩を直視し抉り出す鋭く苛烈な宗教的視線を持つ傑作ながらも、同時に、俗物的な出歯亀趣味とエログロ趣味をも多分に有する怪作まで含まれているのです。
となれば日本史上初の好色絵巻の詞書作者、日本史上初のエロ漫画原作者の名誉ある地位を、後白河法皇が占めるというのも、十分納得行くところであります。
まあ後白河法皇ではなく、藤原為家が詞書作者とも言われていますが、その辺は今回は無視する方向で。
で、このやんごとなきエロマンガ、原本は今に伝わらないものの、模本は残っており、具体的な内容を詳しく知ることも可能です。ですから、せっかくなのでここからは、その内容を紹介してみましょう。
このエロマンガは、986年の宮廷スキャンダルを題材にした作品で、色男の近衛兵、平致光と、斎宮すなわち聖処女あるいは姫巫女であった皇女済子の密通を描いた物語です。
絵画部分は
10の場面から成り、
1 男が優雅な姿で斎宮の住む野宮の側に現れ
2 男は女の足に取り付き女の下半身をはだけ
3 女性器をなめ回し
4 女の脚を押し上げ開きつつ巨大な男根を女性器に押し当て
5 向かい合った状態で差し入れたまま抱き合い
6 女を仰向けに寝かせて交わり
7 交わりながら、女を柱につかまらせて持ち上げ、また女を仰向けにし、女が上になり
8 下になった女を半分起きあがらせた状態で差し込み、抜き出し
9 女を下に、座って抱き合い、女を下に、女が上に
10 互いの性器をなめ回し、四つんばいの女の背後から交わり
といった感じ。
そして詞書きについては、京都大学図書館所蔵本の「後白河法皇の御宸筆、疑い無きところなり(後白河法皇御宸筆無疑処也)」と記される長文の詳細な詞書から、絵画部分に相当する冒頭三分の一ほどを抜き出して、ねっとりと詳細に楽しんでいただきましょう(リチャード・レイン編著『定本浮世絵春画名品集成17 秘画絵巻【小柴垣草子】』河出書房新社 53~54頁より源豊宗校訂のものを引用 段番号省略 一部文中記号を改編)。
寛和の頃滝口平致光とて聞ある美男ならびなき好色あり見人恋にしつみ聞者思をかけぬはなかりけり斎宮野宮におわしましける口役に参たるを御簾の中より御覧しければみめ有さま所のしなしなすきてはれやかなる姿世の人に勝りてみえけるを男のかけさす事もまれなるにたまたま御覧しける御心にうちいかゝ覚食けむ
月傾夜ふくるほとにこしはのもとにふしたる所へいかなる神のいさめをか遁出給けんかうらむのはつれより御足をさしおろしてにくからす御覧しつゝ顔を踏ませ給ひたるにあきれて見あけたれはなへてならすうつくしき女房の御くしはいと心くるしくこほれかゝりて御小袖の引合しとけなけにしろくうつくしき所又くろくにくさけなる所月のかけにほのかに見ゆる心まとひいはんかたなし
御足にとりつくまゝにおしはたけたてまつりてしたをさし入れてねふりまわすに玉門はものゝ心なかりけれはかしらもきらはす水はしきなとのやうにはせいたさせ給ひける
ひもとく程のてまとひ猶おそしともよをす大物いつしかはら立いかりまうけたるにねふりそゝのかしたるしゝむらは御はたよりもたかく利き出たるにさしあてゝかみさまにあらゝかにやりわたすに玉門のうるおひも玉茎のかねもいよいよつよくまさるさまはいはむかたなし
ふとくゆかしき御こしをやすくもてあはせはねあけさせ給ふに玉茎もいよいよのふる心地してのひあかりてせめたてまつるにこし方行すゑ神代のことも忘られ給ふにやいやしき口にすひ付給ひてしのひかねたる御けしきはことはりも過たりし
<訳>
寛和の頃、滝口の武士の平致光という有名な美男で並ぶ者なき好色漢がいた。その姿を見た者は恋に落ち、評判を聞いて思いを寄せない者はなかった。斎宮が野宮におられたとき、公役にやってきたのを御簾の中から御覧になったところ、見目と有様と諸々の装いの風流で晴れやかな姿が、世の人よりも優って見えたのを、男の影さえ見ることは稀であるのに偶々御覧になってしまった御心の内は、どのような思いでおられたのだろう。
月が傾き夜も更ける頃、小柴垣の下に臥していた所に、なんと神の掟を破って、高欄の端から御足をそっと下ろして惚れ惚れと御覧になりつつ顔をお踏みになったので、驚いて見上げたところ並々ならぬ美しい女性の、御髪が思いを抑えきれない風情にこぼれかかり、御小袖の合わせ目の乱れた姿、白く美しい所から黒くかわいげのない所まで月の光にほのかに見えては、心乱れて言い表しようもない。
御足にとりついた勢いのまま押しはだけ、舌を差し入れてしゃぶりまわせば、玉門に理性も道理もないというわけで、頭に嫌との思いも浮かばず、水はじきなどにも似た有様で、濡れ散るところまで達したのであった。
下紐解いてまごつく程の時もなお待ちきれず、もよおした大物は早くも腹立ち怒ったかの様に準備万端、しゃぶってかき立てた肉塊が御肌の奥から露わにさらけ出されたところに、押し当てて上向きに荒々しく進み行けば、玉門のうるおいも玉茎の固さもいよいよ増し優っていく様で言いようもない。
ふっくらと好ましげな尻を容易く組み敷きあるいは持ち上げ、そこで玉茎もますます奮い立つ心地で伸び上がって攻めたてれば、過去も未来も神々のこともはやどうでも良くなって、卑しい口に吸い付き感に堪えないといった御様子はあまりにいき過ぎた有様であった。
以上で、多少訳文など疑わしいものの、どうにか『小柴垣草子』の概要は示せたと思いますが、こんなものを自ら製作されているとは、後白河法皇のHENTAI帝国日本皇帝にふさわしい度量としなやかな文化力には、まったく感歎するしかありませんね。
参考資料
リチャード・レイン編著『定本浮世絵春画名品集成17 秘画絵巻【小柴垣草子】』河出書房新社
棚橋光男著『後白河法皇』講談社選書メチエ
家永三郎著『上代倭絵全史』名著刊行会
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
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後白河の同時代人たち
引きこもりニート列伝その3 鴨長明・兼好法師
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet03.html
引きこもりニート列伝その26 西行
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet26.html
義経は戦の天才か?
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020510a.html
(以下2010年6月26日加筆)
後白河法皇については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「後白河法皇 エロマンガ大王 ~天皇家の権威よりエロマンガ趣味を優先する背徳異形の天皇家首領~」収録)
もご参照ください。