2008年 11月 03日
エロ絵で勝ち取る逆転裁判 ~裁判官の心をわしづかんだ鎌倉時代のエロマンガの話~
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ここのところ、中世日本のエロマンガネタを多用していますが、もう一回、中世エロマンガネタで行きます。
『古今著聞集』が伝える話ですが
<訳>
絵師として大輔法眼の位を与えられた賢慶の弟子になんとかという法師がいた。賢慶が亡くなった後、賢慶の未亡人と不仲になって紛争になることがあった。六波羅に訴えたけれども、審理が進まずに時間が経っていったところ、この法師は絵を巧く描くことができるので、例の未亡人の態度や振る舞いについて最初から描き表していった。間男を引き入れて密会している場面などを様々に描いて、見事に彩色して詞書きもつけて、六波羅に持っていき、裁判を行う奉行達に見せたところ、当初は訴訟を熱心に執り行う気持ちが無かったのが、絵が興味を惹きつける出来であったこともあるし、あちこち持ってさまよい歩く間に奉行だけでなく両国司までも訴訟の趣旨を詳しく理解したという事情もあった。こうして遂に勝訴を勝ち取ってしまった。この法師は摂津の国の宇出庄でまだ生きている。
というわけで、裁判相手の密通場面のエロマンガ描いてアピールし、それまでまともに取り合ってくれなかった裁判官の心をわしづかみ、見事勝訴したというお話でした。
それにしても、弟子と師匠の未亡人の間の、間男まで絡んでくる争いで、密通を暴き立ててアピールせねばならないものとはいったい何だったのか?
なんか所領の争いらしいのですが、ひょっとして、密かに間男こしらえて調子に乗ってた師匠の妻が、師匠が死んだのを良いことに、公然、間男を引き込んで土地を好き放題に占領させるのを見かねて、
師匠を慕う弟子がぶち切れ、御家の大事とばかりに訴え出て、不貞の妻と不逞の間男を追い出しにかかったとかでしょうか?
鎌倉幕府法では姦通した妻は所領を半分没収されたり、再婚する後家は夫から譲与された所領を亡父の子息に返還させられたりしたので、それと似たような感じの問題として、師匠の子息なんかに力添えしたりしていたのかもしれませんね。
まあそれはさておき、この話をより良く理解するために当時の裁判所の状況を見てみましょう。
まず、『古今著聞集』は鎌倉時代の1254年に成立した説話集らしいのですが、その時点で、この法師はまだ存命とのことなので、この事件の時期はそれより少し前ということになるでしょう。
そしてその頃の裁判所の状況ですが、
鎌倉幕府の関東の裁判機関・問注所では奉行達が、訴訟事務の調査を怠り、ひたすら酒宴と遊興に耽り、訴訟当事者の審理も証文の審理も顧みないという、わりと悲惨な有様に陥っていたとか。
そのため宝治二年(1248)には、幕府は、その様な人物を召し使っては成らないとの規定を定めたりなんかしてます。
で、問注所がこの有様だとすれば、この逸話に出てくる西国管轄の幕府裁判機関・六波羅にしても、当時それほど状況が良かったとは思えません。というか六波羅は関東に対して下級審的な地位にあったとかい言いますから、下手すると、より状況は悪かったのかも知れません。
この事件で、やる気無く裁判の進まない状態(「訴訟をことに執申さんの心はな」く「事ゆかで程へ」た)に陥っているのも、そのような当時の裁判所の機能不全がもたらした結果なのかも知れませんね。
それがとっても上手なエロマンガを見せられるや、奉行達も俄然事件に興味が湧いて、裁判が進み出したと。
ひょっとしたら、
このエロマンガに描かれた淫乱な未亡人をエロエロに尋問してやるぞハァハァとか思ったんでしょうか?
もしそうなら鎌倉時代人は、情けないくらいに面白すぎる人たちです。
仮にそうでなくても、
エロマンガをエサに怠惰な風潮に流されていた奉行たちの心を審理促進へと駆り立て、
いわばエロマンガパワーを注入して、時代の流れとして機能不全に陥り停滞していた裁判を蘇生・進展させたのですから、充分、面白い人たちですが。
ところで、現代日本人はいろんなことを漫画で解説するのが好きですが、遠いご先祖様もそんな感じだったってことでしょうか?
裁判みたいな真面目な場で、漫画でアピールですから。
ですが、堂々とエロマンガ掲げてアピールして回るとは、その御先祖様たちは、現代人も遥かに及ばぬ、さばけた人たちだったのかも知れません。
なお、『古今著聞集』は、説話集ながら既存の説話集を出典とすることはあまりなく、王朝の日記や記録等を資料にして、歴史的に信頼性の高い説話集を創り上げようとした作品なんだそうですよ。
参考資料
『国史大系 第15巻 古事談 古今著聞集 十訓抄 栄華物語』経済雑誌社
『新潮日本古典集成 古今著聞集』新潮社
牧英正/藤原明久編『日本法制史』青林書院
佐藤進一著『鎌倉幕府訴訟制度の研究』岩波書店
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
エロ絵な話をいくつか
引きこもりニート列伝その27 南方熊楠
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet27.html
エロイ研究をいっぱいした人。外人相手にエロ絵を売って生活していたことも。
ジュブナイルポルノの歴史に関する覚え書きとささやかな考現学
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/mito/juvenile.html
エロライトノベルの話。ライトノベルは絵も重要成分。
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
エロ絵に関する文化の話もちらほら。
『古今著聞集』が伝える話ですが
繪師大輔法眼賢慶が弟子になにがしとかやいふ法師有けり。賢慶逝去ののち後家と不快になりて相論の事有けり。六波羅に訴へけれども。事ゆかで程へければ。此法師繪もさかしく書けるものにて。くだんの後家がありさまふるまひをはじめよりかきあらはしてけり。ま男して會合したる所などさまざまにかきて。えもいはずいろどりて詞付て。六波羅へ持て行て。奉行の者どもに見せければ。訴訟をことに執申さんの心はなかりけれども。繪其興あるによりて「も」とかくもてさまよふ程に。兩國司までも訴訟のむねくはしく心得ほどきにけり。つゐにかちにけり。件の法師攝津國宇出庄にいまだあり。
(『国史大系』経済雑誌社から引用 一部記号改変)
<訳>
絵師として大輔法眼の位を与えられた賢慶の弟子になんとかという法師がいた。賢慶が亡くなった後、賢慶の未亡人と不仲になって紛争になることがあった。六波羅に訴えたけれども、審理が進まずに時間が経っていったところ、この法師は絵を巧く描くことができるので、例の未亡人の態度や振る舞いについて最初から描き表していった。間男を引き入れて密会している場面などを様々に描いて、見事に彩色して詞書きもつけて、六波羅に持っていき、裁判を行う奉行達に見せたところ、当初は訴訟を熱心に執り行う気持ちが無かったのが、絵が興味を惹きつける出来であったこともあるし、あちこち持ってさまよい歩く間に奉行だけでなく両国司までも訴訟の趣旨を詳しく理解したという事情もあった。こうして遂に勝訴を勝ち取ってしまった。この法師は摂津の国の宇出庄でまだ生きている。
というわけで、裁判相手の密通場面のエロマンガ描いてアピールし、それまでまともに取り合ってくれなかった裁判官の心をわしづかみ、見事勝訴したというお話でした。
それにしても、弟子と師匠の未亡人の間の、間男まで絡んでくる争いで、密通を暴き立ててアピールせねばならないものとはいったい何だったのか?
なんか所領の争いらしいのですが、ひょっとして、密かに間男こしらえて調子に乗ってた師匠の妻が、師匠が死んだのを良いことに、公然、間男を引き込んで土地を好き放題に占領させるのを見かねて、
師匠を慕う弟子がぶち切れ、御家の大事とばかりに訴え出て、不貞の妻と不逞の間男を追い出しにかかったとかでしょうか?
鎌倉幕府法では姦通した妻は所領を半分没収されたり、再婚する後家は夫から譲与された所領を亡父の子息に返還させられたりしたので、それと似たような感じの問題として、師匠の子息なんかに力添えしたりしていたのかもしれませんね。
まあそれはさておき、この話をより良く理解するために当時の裁判所の状況を見てみましょう。
まず、『古今著聞集』は鎌倉時代の1254年に成立した説話集らしいのですが、その時点で、この法師はまだ存命とのことなので、この事件の時期はそれより少し前ということになるでしょう。
そしてその頃の裁判所の状況ですが、
鎌倉幕府の関東の裁判機関・問注所では奉行達が、訴訟事務の調査を怠り、ひたすら酒宴と遊興に耽り、訴訟当事者の審理も証文の審理も顧みないという、わりと悲惨な有様に陥っていたとか。
そのため宝治二年(1248)には、幕府は、その様な人物を召し使っては成らないとの規定を定めたりなんかしてます。
で、問注所がこの有様だとすれば、この逸話に出てくる西国管轄の幕府裁判機関・六波羅にしても、当時それほど状況が良かったとは思えません。というか六波羅は関東に対して下級審的な地位にあったとかい言いますから、下手すると、より状況は悪かったのかも知れません。
この事件で、やる気無く裁判の進まない状態(「訴訟をことに執申さんの心はな」く「事ゆかで程へ」た)に陥っているのも、そのような当時の裁判所の機能不全がもたらした結果なのかも知れませんね。
それがとっても上手なエロマンガを見せられるや、奉行達も俄然事件に興味が湧いて、裁判が進み出したと。
ひょっとしたら、
このエロマンガに描かれた淫乱な未亡人をエロエロに尋問してやるぞハァハァとか思ったんでしょうか?
もしそうなら鎌倉時代人は、情けないくらいに面白すぎる人たちです。
仮にそうでなくても、
エロマンガをエサに怠惰な風潮に流されていた奉行たちの心を審理促進へと駆り立て、
いわばエロマンガパワーを注入して、時代の流れとして機能不全に陥り停滞していた裁判を蘇生・進展させたのですから、充分、面白い人たちですが。
ところで、現代日本人はいろんなことを漫画で解説するのが好きですが、遠いご先祖様もそんな感じだったってことでしょうか?
裁判みたいな真面目な場で、漫画でアピールですから。
ですが、堂々とエロマンガ掲げてアピールして回るとは、その御先祖様たちは、現代人も遥かに及ばぬ、さばけた人たちだったのかも知れません。
なお、『古今著聞集』は、説話集ながら既存の説話集を出典とすることはあまりなく、王朝の日記や記録等を資料にして、歴史的に信頼性の高い説話集を創り上げようとした作品なんだそうですよ。
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
エロ絵に関する文化の話もちらほら。
by trushbasket
| 2008-11-03 01:15
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