さて、何でも、原始時代においてはどの種族にも食人の風俗があったとスタインメッツという学者が述べているそうですが、我が国においても例に漏れなかったようです。
エドワード・モースが大森貝塚を発見し日本考古学の祖といわれているのは知られていますが、その際に折れた人骨の一部分が多数見つかっていたのです。砕いて骨髄を吸ったり鍋に投じて調理したのではないかと推測されています。また常陸吹上貝塚でも、調査に当たった大野延太郎・鳥居龍蔵によれば人骨の破片が多数認められたそうです。それも、上腕骨・尺骨・大腿骨など食用に適した部位の骨が多く、他の動物と同様に両端が欠けている状態であった事から、食人の風習が示唆されると考えられたのです。
その後にも大江山の酒呑童子や安達ヶ原の鬼が人を食ったという話があったり、「日本紀略」寛平元年に「或人曰、従信濃国、食人之鬼入来洛中云々」という記録が残っていますから、政府の支配が及ばない所で食人の風習を残した人々が存在した可能性はあります。
北海道のアイヌ民族にも同様の伝説があるようで、バチエラ「アイヌ及その説話」(明治三十五年)は「アイヌの祖先は人肉食人種なりし故、己の親族といへども生にてその肉を食したり。然るに神なるアイオイナは天より降りて、捕魚銘、弓矢、鍋等を製作することを教へ、魚類肉類は食前必ず料理して食すべきことをも教へたり。その人と互ひに相殺してその肉を食ふは誠に悪しとて大に戒めたり。又アイオイナはアイヌに漁猟をも教へたり。故にアイヌは其後人と互ひに相殺し人肉を食はざるに至れり。」と述べています。琉球においても早い時代には食人の記録がありますが、それについては後述します。
ただし、人類社会において早い段階で食人へのタブーが成立していたとの指摘もあり、これらは呪術・宗教的性格を持っていたものではないかともされています(事実、太平洋の島々で食人をすると報告された人々も特殊な宗教儀式にのみ行うそうです)。我が国でも能登の気多神社では昔は人間を犠牲として神前に供えていたが、後になって鵜の肉は人間と同じ味だからという理由で生きた鵜を備えるようになったとされています。人間の肉と鵜の肉が同じ味だと分かった理由は想像するまでもなさそうです。また、陸中稗貫郡の諏訪神社や上総国の坂戸神社でも人を犠牲とする風習があったようです。これも呪術・宗教儀式としての食人があった可能性を示唆していますね。
さて、以下では日本の記録で見られた食人を分類してみたいと思います。以前の記事では中国の食人を(一)飢饉の際の食用、(二)籠城で糧食が尽きた際の食用、(三)嗜好品としての食用、(四)憎しみを晴らすための怨敵の肉の食用、(五)医療目的の食用に分類していましたので、それに倣う事にしましょう。
まず、(一)についてですが、「日本書紀」巻十九欽明紀で「二十八年郡国大小飢、或人相食」とありますし12世紀の養和飢饉や15世紀の寛正飢饉でも食人があったということです。また、有名なのが天明の飢饉で、当時の記録でも「死にかかり候人々肉を切り離し、格別うまき味なる由申候」(「兎国小鏡」)「奥洲筋にては鳥獣を食し或は子を捕へて饑を凌げりといへり」(「消夏自適」)とありました。また終戦直前の昭和二十年三月には群馬県で一家の食料がなくなった主婦が飢えに耐えかねて継子を殺害し子供たちに食わせたという事件があり懲役十五年に処されています。ただ、より食糧難が深刻であった終戦直後には同類の事件が起こっていないのは不思議です。(二)も(一)と同様に考えてよいと思います。有名なところでは「太平記」で越前金ヶ崎城篭城中の新田軍が飢えを凌ぐため軍馬や死者の肉を食っていたという記事が見られる事や、羽柴秀吉により包囲された鳥取城で死人の肉が食われたという事例が挙げられます。先の第二次大戦でも飢えに苦しんだ日本兵が食人を行ったという話があります。まあ、これらは生き残る為の緊急避難的な性格が強いといえます。
(三)について。これは特殊な事例といえます。ただ、我が国においても決して皆無ではなく「明治三十三年十月頃、新潟県北魚沼郡の山奥の炭焼小屋の近くから、多数の人骨が発見され、それが端緒となって遂に其処の炭焼きが人肉食の常習者であることが判つたことがある。又目下東京深川の某町に料理店を開いてゐる七十許りの老人は昔台湾で土匪の首を斬る役をしてゐた時、同僚と一緒に酒を飲みながら土匪の肉をスキ焼にして食つたといふ。」(1940田中香涯「文化民族に於ける人肉食」)という証言も見られます。また、終戦直後のミンダナオ島で、旧日本兵が島民を数十人殺し食したと言われています。これは一見飢えに伴うものと見る事も出来そうですが、野豚や里芋なども手に入る状態であったそうですから嗜好によるものと考えられそうです。(三)については社会の問題というより個人の性癖による面が大きいと思われますが、台湾やミンダナオ島の例では現地住民への蔑視がタブー破りへの閾値を下げたように思われます。
(四)の憎悪による事例ですが、これは我が国では余り見られません。ただ、「隋書列伝」流求国伝には「一軍皆走、遣人到謝、即共和解、収取闘死者、共聚而食之」とあり戦闘で殺された者の遺骸を共に食ったという事ですのでこれは比較的近いかもしれません。また、寺石正路「食人風習論補遺」(1888)によれば西南戦争で戦死者の肉を食った事例があったそうで、寺石は「素ヨリ戦争中ノ事ナレバ常理ヲ以テ論ズ可カラズト雖モ惜気モ無ク人ノ生命ヲ相奪フノ際ニハ其人肉ヲ啖フ位ハ少シモ驚クニ足ラザル可シ」と評しています。これらも戦争という特殊な環境においてタブー破りへの抵抗が低められた例といえますが、憎悪による食人に近いといえましょう。
なお、比較的多く見られるのが相手への愛着の余りにその肉を食うという例です。これは憎悪とは正反対ですが食われる対象への強い執着という点では似ているかもしれません。以下ではそれについて見てみましょう。
清水濱臣「游字漫録」には怪異な姿の男が美女を浚って長い爪で衣服を切り裂き胸から血を吸った上に腸を引き出して食ったという話が記されているそうです。これら変態性欲に基づくと思われる事例は世界各地で時に見られますが、相手への歪んだ執着の現れといえます。これは社会が云々というより個人レベルの特殊性癖といってよいと思います。これより広く見られるのが死者への愛惜が募ってその肉を食うという話です。
上田秋成「雨月物語」の「青頭巾」に記された、僧侶が溺愛していた稚児が死んだ際に愛惜の余りその腐乱する死体を啜って食い尽くしたという話は有名です。これは物語であり実例ではありませんが、実際にもそうした情念の動きは見られたようですね。中国の文献によれば太古の琉球地方では死者が出ると村の人間や親類がその肉を食したようですす。例えば、「隋書列伝」流求国伝には「南境風俗小異、人有死者、邑里共食之」とあり「海東諸国記」にも「人死則親族会而食其肉云々」と記されています。近代の民俗学的研究からも同様な事が示唆されており、田代安定「沖縄県八重山列嶋見聞余禄」によれば「昔し我か島(NF注:西表島)では諸人(もろひと)の風儀太た自儘にして誰ても人が死ぬと頭でも手でも背脊(せなか)でも脚(はぎ)でも何処の差別なく皆々寄り集りて割き取り喰ひ致し居し」が塵田城殿なる人物により道義を教えられその風習はなくなったという伝説が西表島にはあるそうです。なお、この文章で田代は中国も日本も昔は食人の風習があったのだから島の人を気遣ってこの風習を隠す必要はないと豪語しているのは留意すべきでしょう。また、伊波普猷「南島古代の葬制」は沖縄の葬儀について「昔は死人があると、親類縁者が集つて、其の肉を食つた。後世になつて、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになつたが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシシオエカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(プトプトーオエカ)といふのは、かういふところから来た云々」という民間伝承があると述べています。もっとも、「死者もやはりこの饗宴に加はつて、豚肉を食ふと考へられてゐるやうな気がする。」とも述べて伝承の真偽については保留されていますが。これから考えると、上述の文章で述べられた事例も死者が出た際に行われるものですから死者を悼んでのものであったと考えるのが適切なように思われます。このような事例は沖縄だけではなく、中山太郎「祭祀の起源と民俗」では沼津付近に親類縁者が遺骨を齧る風習がある事を記録しています。こうした「骨噛み」は沼津だけでなく少なくとも明治期には各地で見られたようです。例えばいわゆる「極道」の世界では親分が殺された際に子分がその遺骨を齧って復讐を誓ったといった話が残されていたりします(http://horror.ameblo.jp/horror/entry-10004332707.html 「正しい人の喰い方マニュアル」)。これらは、死者を悼み体内に取り込むことで死者と一体化しようという意味合いがあったといえます。冒頭近くで述べた貝塚の人骨もそうした風習の跡だったのかもしれません。
(五)の医療目的による食人は、我が国でも比較的多く記録が見られます。歌舞伎「生寫朝顔日記」や「摂州合邦が辻」などでは特定の年月に生まれた人間の生き血を用いると即座に病が治るという話が取り入れられていますし、落語「肝つぶし」でも同様に特定の年月に生まれた人間の臓器が薬になるという内容が出ています。そして実際にも、肝臓・肺・心臓が眼病に、脳はカビ毒、生肉はハンセン氏病に効くとされていたようです。徳川期には首切り役人・山田浅右衛門が生胆嚢を原料とした生薬を作り販売していました。また、山脇東洋・杉田玄白らが人体解剖を刑場で見学したのは知られていますが、この際に「腑分け」(解剖)の名人が実際に行って見せたそうです。医学目的の解剖は限られていたにもかかわらず、なぜ名人といわれるまでに経験をつんだ人が存在しえたのかを考えると、それ以外の目的で「腑分け」がしばしば行われていたからという結論に達します。浅右衛門の事例も考慮すると、おそらくはその際に臓器を取り出して医薬品として売っていたと考えるのが妥当です。また、荼毘に付した遺骨の壷に収められなかった残りを粉薬として売っていたという話も残されています(http://www.shizensou.net/category/danron_folder/danron_hone01_main.html 「骨シリーズ講演会」)。更に「明良洪範」によれば紀州藩主の病を治すために菅主水が自分の股の肉を切り主君に食べさせたという事例があったそうで、中国における諸例を彷彿とさせます。徳川期の支配層には儒教が強く推奨されましたから、中国的な考え方の影響も強くなったのでしょうか。明治期に入ってもそうした風習は残っていたようで、明治二十五年に大分県速見郡杵築で母の眼病への薬として人の心臓を黒焼きにするために妻を殺害した男が重禁固九年の刑に処せられています。また明治三十五年には墓地から入手した生首を黒焼きにして市場に密かに売っていた事例が発覚。更に同年に東京で少年が殺害され臀部の肉が切り取られていた事件が起こり逮捕された男は義兄のハンセン氏病の薬として取ったと自供しています(ただしその男が真犯人であるかは異論もあるようです)。これらは世間で猟奇事件として大きく取り扱われ、これを契機としてそうした風習は姿を消していったと見てよいと思います。近代化が進められる中でそうした「野蛮」な習俗は排撃されていったという事でしょう。ただし、医療目的で人体由来の物質を取り込むという点では現代の臓器移植や血液製剤も同様だという意見も見られる事はあります(参考「人体の利用と商品化 徳山大学経済学部教授 粟屋 剛」)。
以上より、人肉食の事例は我が国においても相応に見られる事が分かります。まあ、カニバリズムそのものは全世界的に認められる事象のようで、各地の人間がプリオン病(人を食う地域で多く発生した事が知られる)への抵抗因子ができているという報告もあるようです(参考 http://x51.org/x/05/01/2721.php X51.ORG)。人を食う事そのものを残虐だ野蛮だといって非難する資格は誰にもないと言うことが出来そうです。とはいっても、僕は決して人肉食を是とするつもりはありません。ただ、勿論食べる為に人を殺すのは論外ですが、臓器移植や血液製剤などは生き残る為に他人の身体を取り込む点でカニバリズムと変わらないと唱える向きもありますから医療目的で人を食するという発想自体には倫理的にどうこう言えないように思えます。それに飢餓などの非常事態には「理性的」「倫理的」な行動基準を貫けるか正直自信ありません。人間なんていざとなるとどんな行動するか分からないですから。まあ、My氏が問題視している(参考:http://trushnote.exblog.jp/7602405/)のも中国の食人そのものではなくそこから見えてくる中国社会が抱える病理(人間の尊厳への考慮の欠如、目先に関して徹底した「合理主義」)である訳で、魯迅が「狂人日記」で克服を訴えていた内容とほぼ同一であるといえるわけです。まあ日本に関して言えば、食人に関する限り中国と同様な病理は幸い見えてきません。ただ、日本には日本の病理がありそうですね。「良識」に依拠して多数が異端な少数を叩く陰湿な「偽善」などがそれにあたるでしょうか。武田泰淳「ひかりごけ」はカニバリズムに関連してそうした我が国の病理を告発した作品と言えるでしょう。もっともまあ、無用で無残な殺人の原因が一つ減ることを考えると、食人のタブー化が浸透する事は望ましいといえます。
カニバリズムは現代社会における最大級のタブーであるとともに太古における民俗的風習の残滓であったりします。また、生と死の絡んだ様々な究極の場面で浮かび上がってくるテーマです。そこからはそれぞれの国の本当の姿や課題が見えてくる気がします。
…今年最後の更新に何と言う話をしているんでしょうね、我ながら。では、皆様、本年はご愛読ありがとうございました。良いお年を。
※「流求」(琉球)は沖縄だけでなく昔には台湾を指すこともあったようですが、「隋書」ではどちらを意味していたのかは確認取れませんでした。
【参考文献】
歴史民俗学資料叢書2 人喰いの民俗学 礫川全次編著 批評社
カニバリズム論 中野美代子著 福武文庫
日本古典文学大系太平記一~三 岩波書店
ひかりごけ・海肌の匂い 武田泰淳 新潮文庫
他、「関連サイト」で述べた先も参考にしています。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本前近代医学史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/000602.html)
「日本近現代医学史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/000609.html)
「政治家・足利義政」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021025c.html)
関連記事(2009年5月17日新設)
中国食人文化入門 ~中国的合理主義と、中国人であることおよび中国人があることの不幸について~
背徳美食倶楽部 ~人肉の味を探求・賞味する~
金太郎あるいは坂田金時伝 ~熊と戦う天才少年戦士はその後いかなる功業を打ち立てたか~
関連サイト:
「骨シリーズ講演会01 骨と民俗」
(http://www.shizensou.net/category/danron_folder/danron_hone01_main.html)
骨噛みについての実例などについて述べています。
「X51.ORG」(http://x51.org/)より
「カニバリズム―人間は如何にして人間を食べてきたか」
(http://x51.org/x/05/01/2721.php)
「正しい人の喰い方マニュアル」(http://horror.ameblo.jp/horror/)より
「骨噛みは愛の為に」
(http://horror.ameblo.jp/horror/entry-10004332707.html)
「人体の利用と商品化 徳山大学経済学部教授 粟屋 剛」
(http://homepage1.nifty.com/awaya/hp/ronbun/r004.html)
人体利用のあり方について述べた学術論文で、カニバリズムについても述べられています。