2019年秋、京都国立博物館に佐竹本三十六歌仙絵の多くが集結し展覧会が開かれ話題を呼びました。
三十六歌仙とは、藤原公任が『三十六人撰』で選んだ古今の優れた歌人たちを指します。これを題材とした絵巻が、三十六歌仙絵。中でも有名なのが今回展示された「佐竹本」で、歌人たちの心情も反映させた繊細な描写として高く評価されています。鎌倉初期の成立と推定され、絵は藤原信実、詞は九条良経の手によるものといわれています。徳川時代に旧秋田藩主佐竹侯爵家に伝来した事から、この呼び名があります。
大正になって持ち主が変わるものの、やがて余りに高価なため売りに出しても買い手がつかなくなりました。やむなく益田鈍翁らが中心となり、分割購入という手段が取られました。かくして大正八年十二月二十日に抽籤会が行われ、どの歌人の部分を誰が買うかが決められます。この際、購入に参加した実業家たちには「近代数寄者」と呼ばれる茶の湯愛好家が少なからずおり、彼等は歌仙絵を掛物に仕立てる事で茶道具として組み入れようとしたそうです。表具に仕立てる際の布地模様等の選定も当該歌人に所縁あるものを選んでいるケースもあり、これも見所の一つとなっています。なお、その後もそれぞれの歌仙絵は世の転変と共に持ち主を変えていきました。
今回、三十六歌仙の略歴、更にこの際に購入の栄に浴した人々の略歴を分かる範囲で述べていきたいと存じます。ただし、詳細不明な人もあると思いますが、ご了承を願います。
京都国立博物館研究員である降矢哲男氏によれば「当初の所蔵者がどのような人物であったのかなど、不明な部分が多いのもこの佐竹本の所蔵者の特徴」(『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』京都国立博物館 21頁)であり、それは「近代化が推し進められていくなかで、景気の浮き沈みなどによって一夜で没落する者も少なくはな」(同書 同頁)いという事情もあったのだそうです。
また、後の世代の数寄者が改めて入手するケースもあり、「昭和十年頃には佐竹本を所蔵することが数寄者としての一つのステータスとなっていった」(同書 同頁)とも指摘されています。そこで今回は、手元の図録に従い、当籤者および数年後の模本作成時に所有していた人物をここでは紹介いたします。また、後に入手した著名人についても少し触れようかと。
・柿本人麻呂
生没年不詳。持統・文武朝の歌人。『万葉集』に長歌18首・短歌67首。多様な修辞を用いた力強い歌風もあり後世から歌聖として渇仰された。
当籤者・模本作成時所有者 森川勘一郎(如春庵)
詳細はこちら。
・凡河内躬恒
生没年不詳。宇多・醍醐朝の人か。清新な叙景歌で評価が高い。『古今集』編者の一人で、自らも60首入集している。勅撰集全体では190首近くが採録された。
当籤者 武藤山治
生没年1867-1934。美濃出身、慶應義塾卒。三井銀行を経て鐘淵紡績に入り、のち社長。組織的、先駆的な労務管理で知られた。大正十二年(1923)に実業同志会を結成し、翌年に衆議院議員。昭和七年(1932)、時事新報社長として政界浄化の主張を展開するも暗殺された。
模本作成時所有者 横井庄太郎
名古屋の道具商・合名会社米萬商店の主人。
熱田の米穀商から始まり、質屋と並行して骨董にも手を出すように。茶の湯を愛好。
・大伴家持
生没年718-785。大伴旅人の子。中納言従三位兼春宮大夫陸奥按察使鎮守将軍。『万葉集』編纂者とされ、480首近くが採録されている。特に叙情歌の評価が高い。
当籤者・模本作成時所有者 岩原謙三(謙庵)
生没年1893-1936。石川県出身、大阪商船学校卒。三井物産の海外支店長を経て常務取締役に。その後は芝浦製作所社長、日本放送協会初代会長を歴任。益田鈍翁の影響で茶の湯を愛好。粗忽な振舞いが目立った事から仲間からは粗忽庵、狆庵と揶揄された。
※後に松下幸之助(宗晃)(詳細はこちら)が所有した時期も。
・在原業平
生没年825-880。平城天皇の孫、阿保親王の子。在原姓を賜り右近衛権中将に至る。『古今集』を始め勅撰集に90首近くが採録。美男として知られ、『伊勢物語』主人公に擬せられて二条后や伊勢斎宮との恋愛についてなど様々な伝説が残される。
当籤者・模本作成時所有者 馬越恭平(化生)
生没年1844-1933。詳細はこちら。
※のち、湯木貞一(詳細はこちら)も所蔵。
・素性法師
生没年不詳。やはり三十六歌仙である僧正遍照の子。俗名は良岑玄利。宇多朝の人で、『古今集』以下の勅撰集には60首以上採録された。軽妙かつ優美な詠みぶりで知られる。
当籤者・模本作成時所有者 野崎廣太(幻庵)
生没年1859-1941。岡山県出身。慶應義塾卒。益田孝の勧めで三井物産に入社、のちに中外商業新報社(日本経済新聞社の前身)や三越呉服店の社長を歴任した。茶会記事『茶会漫録』は近代実業家の茶の湯事情を知る上で貴重な史料の一つ。隠居した後は益田鈍翁や松永耳庵と共に小田原三大茶人と称された。設計した茶室に茶室「葉雨庵」がある。
※後に土橋嘉兵衛が所有した時期も。
・猿丸大夫
生没年、伝とも不詳。『古今集』真名序に伝説的歌人の一人として名が挙げられる。
当籤者・模本作成時所有者 船橋理三郎
不詳。証券会社とのこと。
・藤原兼輔
生没年877-933。堤中納言と称される。醍醐天皇に仕え、紀貫之らを庇護しサロンを形成した。率直な詠みぶりが特徴で、『古今集』以下の勅撰集には55首採録された。子の藤原清正も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 染谷寛治
鐘淵紡績監査役。その京都東山にあった別邸聚遠亭を後に松下幸之助が買い取った。真々庵がこれである。
・藤原敦忠
生没年906-943。藤原時平の三男。枇杷中納言、本院中納言と称される。斎宮雅子内親王との恋愛で有名。管弦にも優れていた。『後撰集』以下の勅撰集には30首程が採録される。
当籤者・模本作成時所有者 団琢磨(狸山)
詳細はこちら。
・源公忠
生没年889-948。醍醐・朱雀朝に仕え右大弁となる。『後撰集』以下の勅撰集に21首が採られる。香の調合や鷹狩にも長じた。子の源信明も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 藤田彦三郎
藤田組創立者・藤田伝三郎(香雪)(詳細はこちら)の子。伝三郎死後は藤田組取締となり、兄たちと共に経営に関与した。
※その後、倉敷紡績の大原孫三郎・総一郎が所蔵した時期も。
・斎宮女御
生没年929-985。村上天皇の女御で、重明親王の娘。入内前に伊勢斎宮を務めた事から、こう呼ばれる。『拾遺集』以下の勅撰集に45首が採録されている。
当籤者・模本作成時所有者 益田孝(鈍翁)
生没年1848-1938。詳細はこちら。
・源宗于
生没年?-940。光孝天皇の孫で、是忠親王の子。臣籍降下して右京大夫に。『古今集』以下の勅撰集に15首採録される。
当籤者・模本作成時所有者 山本唯三郎
生没年1873-1927。岡山県出身、札幌農学校卒。石狩郡で開拓に従事して地主となる。更に天津の貿易業者・松昌洋行に入社してやがて店主となり、開平炭の販売権を獲得。第一次大戦では船舶業に転身して成功、成金とされるが、大正九年の恐慌で破産した。岡山新聞社創設するなど郷里に数々の貢献もなしている。
・藤原敏行
生没年?-901。藤原南家出身。右兵衛督。宇多朝の歌壇で活躍し、『古今集』以下の勅撰集に29首が採録されている。書にも長じていたという。
当籤者・模本作成時所有者 関戸守彦
名古屋の富豪。寛永年間に質屋として事業を始め、代々、米穀・味噌を商うと共に新田開発を行い財を成し、関戸銀行を開く。美術鑑識眼に優れた当主が多かったという。
・藤原清正
生没年?-958。やはり三十六歌仙である藤原兼輔の次男。蔵人、左近衛中将を経た後に紀伊守。朱雀・村上朝に活躍し内裏歌合にもしばしば歌を進めている。叙景歌を得意とした。『後撰集』以下の勅撰集に28首が採録されている。
当籤者・模本作成時所有者 藤田徳次郎
生没年1880-1935。藤田伝三郎(香雪)の次男。藤田組副社長、藤田鉱業社長を歴任する。高浜虚子から俳句を学び耕雪と号し、『耕雪句集』をなした。
※後に土橋嘉兵衛が所有した時期も。
・藤原興風
生没年不詳。下総権大掾。宇多朝の歌人。『古今集』以下の勅撰集に38首が選ばれている。
当籤者・模本作成時所有者 大辻久一郎
京都の大辻草生堂の主人、文人画を多く所蔵していた人物という。
※後に土橋嘉兵衛が所有した時期も。
・坂上是則
生没年不詳。田村麻呂の末裔で、加賀介。醍醐朝に活躍。『古今集』以下の勅撰集に40首近く採録された。蹴鞠にも長じた。
当籤者・模本作成時所有者 益田英作(紅艶)
生没年1865-1921。益田孝(鈍翁)の弟。三井物産に入社、やがて役員となる。堪能な英語力を評価された。川上宗順から茶を学び、古美術商も設立した。
・小大君
生没年不詳。東宮時代の三条天皇に女蔵人として仕えた。そのため三条院女蔵人左近とも称される。『拾遺集』以下の勅撰集に20首程度採録されている。
当籤者・模本作成時所有者 原富太郎(三渓)
生没年1868-1939。美濃出身。横浜の生糸貿易商・原善三郎の婿養子となる。貴重な古美術や歴史的建築物を収集し、横浜の大庭園「三渓園」に配置・公開した。こちらにも少し言及あり。他には、小林古径ら画家のパトロンとしても知られる。
・大中臣能宣
生没年921-991。やはり三十六歌仙である大中臣頼基の子。父同様、伊勢斎主。「梨壺の五人」の一人として『後撰集』編纂や『万葉集』訓読を行う。賀歌や屏風歌に優れた。『拾遺集』以下の勅撰集に125首が選ばれている。
当籤者・模本作成時所有者 高橋彦次郎
生没年1864-1932。尾張出身。米相場で財をなし高彦将軍と呼ばれた。名古屋株式取引所理事長、大正海運社長や東陽倉庫・名古屋鉄道の重役などを歴任。
・平兼盛
生没年?-990。光孝天皇の玄孫、臣籍降下して駿河守。屏風歌や歌合で力量を発揮した。天徳四年内裏歌合で壬生忠見の歌と競って勝ったのは有名。『拾遺集』以下の勅撰集に90首近く入首。
当籤者 田辺岩彦
詳細不明。
模本作成時所有者 土橋嘉兵衛(無声)
京都の古美術商・土橋永昌堂の主。四条通堺町東の円山応挙邸宅跡に「仲選居」を建築し茶の湯を愛した。遠州流だという。京都における大茶会・光悦会の世話人の一人でもあった。のち、素性法師・藤原清正・藤原興風の歌仙絵も入手している。
・住吉大明神
住吉大社。大阪市住吉区に所在。祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后である。海上安全の神、和歌の神として古くから尊崇を集めている。玉津島明神、柿本人麻呂と共に「和歌三神」と称される事も(「和歌三神」の内訳は諸説あり)。
当籤者・模本作成時所有者 津田信太郎
詳細不明。
※後に松永安左エ門(耳庵)(詳細はこちら)が所有した時期も。
・紀貫之
生没年?-946。土佐守などを経て木工権頭。醍醐朝前後に活躍した歌人で、寛平御時后宮歌合などに出詠。また『古今集』編者の一人で、その仮名序を執筆した。『古今集』を始め勅撰集に452首が採録されている。仮名散文『土佐日記』著者としても名高い。
当籤者 土橋嘉兵衛
詳細は上述。
模本作成時所有者 服部七兵衛
大正期に活躍した京都の古美術商。土橋嘉兵衛らと並び称されたようで、当時の道具入札の札元としてしばしば名が上がっている。
・伊勢
生没年不詳。父・藤原継蔭が伊勢守であった事からこう呼ばれる。宇多天皇の女御温子に仕え、藤原仲平らと交際し宇多天皇からも寵愛を受けた。『古今集』以下の勅撰集に選ばれた彼女の歌は200首近くに及ぶ。娘の中務も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 有賀長文
生没年1865-1938。大坂出身。東京帝国大学を卒業した後に農商務省工務局長となり、井上馨の紹介で三井家と繋がりを持つ。三井合名会社常務理事を始め、王子製紙・日本製鋼所、更に三井信託・三井生命などの重役を数々つとめ「三井の宮内大臣」と称されたという。
※後に松永耳庵が所有した時期も。
・山部赤人
生没年不詳。聖武天皇時代の宮廷歌人。叙景歌に長じ、『万葉集』に長歌13首・短歌37首がある。
当籤者・模本作成時所有者 藤原銀次郎(暁雲)
詳細はこちら。
・僧正遍照
生没年816-890。俗名は良岑宗貞。蔵人頭となるが、仁明天皇の崩御を悲しみ出家。『古今集』以下の勅撰集に35首採録される。子の素性法師も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 小倉常吉
生没年1865-1934。武蔵出身。水油問屋での奉公を経て石油販売業を始め、日本精油石油を買収。全国の灯台への石油納入権を得ている。新潟や秋田での油田採掘にも従事し、小倉石油を設立。横浜に大製油所を建設した。
・紀友則
生没年不詳。大内記。紀貫之の従兄弟で、『古今集』編者の一人であったが完成を待たず没した。『古今集』以下の勅撰集に64首が採られている。
当籤者・模本作成時所有者 野村徳七(得庵)
野村證券の創立者。詳細はこちら。
・小野小町
生没年、伝記とも不詳。『古今集』には安倍清行・小野貞樹・文屋康秀と、『後撰集』には僧正遍照との歌のやりとりが記録されており仁明朝あたりの人と推定される。漢詩由来の表現も用いて技巧や着想に優れた歌を多数残しており、教養・機知に優れた女性であったらしい。絶世の美女という伝説もある。『古今集』以下の勅撰集に約60首が採られている。
当籤者・模本作成時所有者 石井定七
生没年1879-1945。大阪北浜の大阪株式取引所で相場師として鳴らした人物だという。元来は材木商であったが、第一次大戦中に株式・米穀・綿糸の取引で成金となる。戦後に経営悪化すると、米や鐘紡株の買占めで再建を図るも失敗。多額の負債を抱え倒産し、借金王の異名を得るに至る。
・藤原朝忠
生没年910-967。土御門中納言とも。『後撰集』以下の勅撰集に21首が採録される。笙の演奏にも長じた。
当籤者・模本作成時所有者 小林壽一
大正期に美術出版をした精華社に編集者として名が見える。
※後に大倉組の大倉喜七郎が所有した時期も。
・藤原高光
生没年?-994。藤原師輔の八男で右近衛少将となるが、若くして出家。多武峯に庵を結んだ。法名は如覚。『多武峯中将物語』はこの顛末を題材にしたものである。『拾遺集』以下の勅撰集に23首が採録されている。
当籤者 石井竹次郎
詳細不明。
模本作成時所有者 児島嘉助
生没年1870-1947。大阪の美術商「米山居」の主人。茶道具の鑑識眼に優れ、関西の数寄者に影響力があった。高麗橋の本邸は後に湯木貞一が買収し「吉兆」店舗となる。
※この歌仙絵は後に小林一三(逸翁)(詳細はこちら)が所有した時期も。
・壬生忠岑
生没年不詳。摂津権大目。宇多・醍醐朝の人で、寛平御時后宮歌合などに出詠、宇多上皇の大井川行幸に供奉といった事績がある。紀貫之らと共に『古今集』編纂に関与。『古今集』以下の勅撰集に約80首が採録された。子の忠見も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 西川荘三
明治大正の船舶業者か。日本汽船会社設立の委員に名を連ね、海運関連の著作あり。三上合資会社の代表として日本船主同盟会に加わり活動したようだ。日露戦争時は、当局と契約締結できない同盟会に替わり陸軍省と契約、軍需品輸送に従事している。後に神戸で活躍したそうで、『明治大正史』によれば大正十三年に神戸生糸株式会社の重役として名を連ねた関西財界重鎮たちの中にも名がある。
・大中臣頼基
生没年?-958。伊勢斎主。子の大中臣能宣も三十六歌仙。
当籤者・模本作成時所有者 益田信世
益田孝(鈍翁)の子。小田原初代市長を務めた。
※後に遠山元一(日光證券創立者)が所有した時期も。
・源重之
生没年不詳。清和天皇の曾孫。相模権守。東宮時代の冷泉天皇に奉った百首歌は、現存最古の一つという。政治的には恵まれず、各地を旅して陸奥で没した。そのためか不遇を嘆く歌や地方の歌枕を詠んだ歌が多い。『拾遺集』以下の勅撰集に約65首が採録。
当籤者・模本作成時所有者 嶋徳蔵
大阪株式取引所、とあるので島徳蔵(1875-1938)の事と思われる。大阪の株式仲買業の家に生まれ、自身も「大阪の島徳」と呼ばれる天才相場師であった。大阪株式取引所理事長や阪神電鉄社長などを務めるが、昭和初期に没落。
※後に畠山一清(即翁)(詳細はこちら)が所有した時期も。
・源信明
生没年910-970。やはり三十六歌仙である源公忠の子。若狭、陸奥などの国司を務める。『後撰集』以下の勅撰集に23首が採録。
当籤者 鈴木馬左也
生没年1861-1912。宮崎出身。東京帝国大学卒、内務省・農商務省を経て住友本店に入り、住友財閥を統括し経営改革に尽力した。
模本作成時所有者 十五代住友吉左衛門
生没年1865-1926。住友友純とも。号は春翠。徳大寺公純の子、西園寺公望の弟。住友家に養子として入り家督を継ぐ。住友財閥が別子銅山を中心とする鉱山業から様々に発展する時代の象徴的存在であった。古代中国の銅器収集でも知られる。徳大寺家にいた際に裏千家の手ほどきを受けたが、しばらくは煎茶志向であった。明治末から大正にかけて、次第に抹茶に重きを置くようになった。
・源順
生没年911-983。嵯峨源氏。能登守。「梨壺の五人」の一人として『後撰集』編纂や『万葉集』訓読に従事した。漢詩文にも長じる。日本初の百科事典『倭名類聚抄』を著した事でも知られる。『拾遺集』以下の勅撰集に約50首が採られている。
当籤者・模本作成時所有者 高橋義雄(箒庵)
生没年1861-1937。詳細はこちら。
・清原元輔
生没年908-990。肥後守。天徳四年内裏歌合などに出詠。「梨壺の五人」の一人として『後撰集』編纂や『万葉集』訓読に従事した。『拾遺集』以下の勅撰集には約105首が採録される。祖父・清原深養父も歌人として名高い。娘は清少納言。
当籤者 菊池恭三
生没年1859-1942。伊予出身。尼崎紡績と摂津紡績の社長を経て、両社を合併させた大日本紡績(現ユニチカ)を創立した。
模本作成時所有者 高松定一
徳川末期に創業された名古屋の肥料問屋「師定」の歴代主人がこの名を名乗るという。農業生産資材関連商品を扱う老舗として知られるようだ。
・藤原元真
生没年不詳。丹波介。『後拾遺集』以下の勅撰集に27首が採録される。
当籤者・模本作成時所有者 嘉納治兵衛(鶴翁)
詳細はこちら。
・藤原仲文
生没年923-992。伊賀守、信濃守など。『拾遺集』以下の勅撰集に5首が採録。
当籤者 住友吉左衛門
模本作成時所有者 鈴木馬左也
源信明と逆である。籤の後、交換したものであろうか。
※後に北村謹次郎(詳細はこちら)が所有した時期も。
・壬生忠見
生没年不詳。やはり三十六歌仙である壬生忠岑の子。摂津大目。幼少期から歌才を発揮し、『後撰集』以下の勅撰集に35首が採録されている。天徳四年内裏歌合で平兼盛と歌を競うも敗れた逸話は有名で、これを苦に憤死したという伝承も生まれた。
当籤者・模本作成時所有者 塚本與三次
生没年1884-1934。京都出身。第百銀行や京都自動車の監査役などを経て西陣貯蓄銀行を継承、経営者として成功を収める。南禅寺付近などの土地買収および別邸地開発にも熱心であったという。
・中務
生没年不詳。父は敦慶親王、母は三十六歌仙である伊勢。父が中務卿であった事からこの名がある。藤原忠平・実頼に仕えた。『後撰集』以下の勅撰集に69首が採録。
当籤者・模本作成時所有者 山田徳次郎
詳細不明。
【参考文献】
『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』京都国立博物館
馬場守次著『続続名古屋新百人物』珊々社
『ブリタニカ国際大百科事典 小百科事典』ロゴヴィスタ
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本人名大辞典』講談社
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
矢野滄浪著『財界之人百人論』時事評論社
湯本城川著『財界の名士とはこんなもの? 第壹巻』事業と人物社
北康利『松下幸之助 経営の神様と呼ばれた男』PHP研究所
八尾嘉男『図解茶の湯人物案内』淡交社
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
佐藤英達『藤田組のメタル・ビジネス』三恵社
松田延夫『美術話題史 近代の数寄者たち』読売新聞社
『日本都市大観 附満洲国都市大観 昭和十一年版』大阪毎日新聞社
高橋義雄『近世道具移動史』箒文社
橘川武郎、パトリック・フリデンソン『グローバル資本主義の中の渋沢栄一 合本キャピタリズムとモラル』東洋経済新報社
平田雅哉『新版 大工一代』建築資料研究社
『日本船主協会沿革史』日本船主協会
『明治大正史 第拾二巻 会社篇』実業之世界社
『産業政策史回想録 第六巻』産業政策史研究所
『跡継ぎの平成 3』中部経済新聞社
矢ヶ崎善太郎『近代京都の東山地域における別邸・邸宅群の形成と数寄空間に関する研究』(京都工芸繊維大学博士論文)
『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ
『美術人名辞典』思文閣
「とらやの和菓子」(https://www.toraya-group.co.jp)より
「岩原謙庵とこぼれる菓子」(https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/117/)
「野崎幻庵と茶席の菓子」(https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/150/)
「益田紅艶と五色団子」(https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/163/)
「美術手帖」(https://bijutsutecho.com)より
「100年ぶりの再会。分割された《佐竹本三十六歌仙絵》が過去最大規模で集結」(https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/19333)
関連記事:
「和歌の詠み方に関するメモ」
「茶道流派から見る近代数寄者たち」
「戦後に活躍した「数寄者」たち~あの実業家も実は茶人だ~」
※2019/11/24 加筆。